ハイライト耐性
現代のデジタルカメラはシャドウ耐性が強いため、白飛びしないよう暗めに撮っておく場合が多いと思うが、この時代のダルサCCDでは、むしろハイライト側のダイナミックレンジが優秀だ。
最低感度のISO50であれば現像で暗部を持ち上げても問題ないが、ISO100以上では色も乗らずノイジーになってしまう。フィルムに似た特性で、露光不足の部分はそもそも感光していない = 情報(データ)がない、と考えるとわかりやすいだろうか。
そのため、仕上がりを想定した上で暗部に露出を合わせ、RAW現像で明るい部分を調整する方法が有効である(もちろん輝度差が大きすぎる場合には、臨機応変な露出決定が必要だ)。
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まとめ
世界初の「中判デジタル一眼レフカメラ」を、発売から19年後に使ってみた。マミヤが初めて手がけたデジタルカメラでもあるし、レスポンス面で我慢を強いられる面もあったが、Phase OneやLeaf、旧imacon社がしのぎを削っていた中判デジタル業界に、カメラメーカーのマミヤが一石を投じた、歴史的なカメラであることは疑いようがない。
ダルサの大型CCDを採用し、筐体デザインには澄川伸一氏を起用するなど、間違いなく社運をかけたカメラだったのだが、ここからマミヤは大きく変化していく。2006年にマミヤ・オーピーは光学機器部門をコスモ・デジタルイメージングに売却、社名をマミヤ・デジタルイメージングとしてマミヤブランドは引き継がれ、その翌年には業界最大手のフェーズワンとの業務提携を発表。
後年にも「マミヤブランド」の中判デジタルバックが登場しているものの、Phase OneやLeafのOEM製品となっており「Mamiya ZD」と「ZD back」はマミヤが開発した最初で最後の中判デジタルということになる。
筆者が使ったマミヤZDは、1台目はAFが動作せず、今回お借りした個体でも、たまにAFが動かなくなりMFに切り替えることがあった。AFが動作しない不具合は他でも耳にする。
カメラ一体型で使いやすい機種のはずが、それゆえに正常動作する個体が希少となり、当時のデジタルバック達が今でも元気に動いていたりするのは皮肉なものだ。
画質やレスポンスなど実用面で考えると、何倍も高価だった当時のデジタルバックが確実に上回る。しかしマミヤによる世界初のプロダクトは、そういった軸で語られるべきではないだろう。グラマラスで独特なデザインも唯一無二。過去の遺産といえばその通りではあるが、きちんと撮れば現在でも素晴らしい画質で応えてくれる。なんともロマンを感じるカメラである。