〈中野・劇団員殺人事件2〉「俺のことわかる?」鋭く睨みつけ…被害者の恋人が犯人と面会し、“直接対決”に

2015年夏、劇団員だった加賀谷理沙さん(当時25歳)が東京都中野区の自宅で殺害された。警察の地道な捜査により事件当時近くに住んでいた男が逮捕されたが、男は容疑を否認。

「理沙の身に起きた真実を知りたい」と被害者の恋人・宇津木泰蔵氏が、真相追究のために訪れた拘置所で見た犯人の素顔、そして“直接対決”の一部始終を『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

「容疑者逮捕」の一報受け、向かった先は…

状況に劇的な変化が生じたのは事件発生から約半年後、2016年3月12日のことだ。

「そのとき僕は仙台駅近くのビジネスホテルにいました。すると突然、スマホに一通のメールが届いたんです」

デマを流すマスコミに不信感を覚えていたとはいえ、当時の泰蔵は新たな情報を得るため複数の記者と連絡を取っていた。そのうちの1人から朝方5時にメールが来たのだ。そこで彼は開いたメールの文面に衝撃を受ける。

「逮捕状が請求されました、と書かれていたんです」

それが犯人の特定を意味することは言うまでもない。すでに犯人の身元は割れ、数時間を待たずして逮捕されるのが通例だ。事件発生からちょうど200日後のこと。その日に、重なるいくつもの運命を感じざるを得なかったと、泰蔵は振り返る。

「奇しくもその前日が3・11(東日本大震災)から5年目で、当日は、仙台で暮らす理沙のお母さんと飲む機会があり、そのまま駅前のホテルに帰りました。でも、本当に寝つきが悪くて、1時間おきに起きてしまう。別に疲れてもないし、何か不安なことがあったわけではない。ただ、まどろんでいるところ、そのメールが飛び込んできたんです。すぐにテレビをつけたけど、まだ速報は流れていなかった。堪らずまだ夜明け前、確認のため迷惑を承知で理沙のお母さんに電話したけど、やはり何も聞いてなくて。落ち着け、落ち着け。もうこのときは胸のドキドキが止まりませんでした」

すぐにでも東京に飛んでいきたい気持ちでいっぱいだった。当該記者に事実確認をするためだ。だが、自然とあの場所に行くとは思いもしなかったと回顧する。

「乗った始発列車の行き先が東京じゃなかったんです。足が彼女のお墓参りへ向かっていたんですよ、勝手に」

図らずも容疑者逮捕を彼女に、真っ先に報告できたんです。そのとき僕はたしか、言葉が見つからず、墓の前でたぶんこう言った、「まあ、そういうことだよ」──。泰蔵は再確認するかのように当時の記憶を喚起した。

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逮捕された「リア充っぽい」男の正体

理沙への報告を済ませ、東京行きの新幹線に飛び乗ると、大宮駅を過ぎた昼頃に、車内の電光掲示板で事件の速報が流れた。無言で「逮捕」の2文字を噛み締める泰蔵と、鳴り止まない電話。コメントを求める記者たちからだ。泰蔵はこのとき、初めて逮捕を実感できたという。改めて当時の心境を聞いた。

「あの200日を振り返ると、どう思いますか?」

「僕も改めてその質問を自分に投げかけてみたんですけど、おまえ頑張ったよ、そう過去の自分に言ってやりたいですよね」

「事件を忘れて生きるという選択肢はありませんでしたか?」

「それはなかったですね。ただ、もし同じ状況の人がいたとしても、事件を忘れて違う道を歩む生活はアリだと思うし、否定はできません。誰に頼まれたわけでもなく犯人探しをしていた僕ですが、これ、美談でも何でもない。殺人事件の結末は、決して一つじゃないと思うんです。犯罪被害者の関係者って一括りに見られるかもしれませんが、そのなかで僕は犯人探しをする道を選択した。それはその人の人生だと尊重すること、理解してあげることが残されたものたちに優しい世界なんじゃないかなと思います」

理沙への殺人容疑で逮捕されたのは、かつて彼女の自宅マンション付近に住んでいた男である。戸倉高広、37歳(逮捕当時)。理沙にも、泰蔵にも全く面識がなかった。自宅マンションの引き渡しこそ事件の2日後だったが、引っ越し自体は2ヶ月前の6月に済ませていた。

「むしろリア充っぽい」と泰蔵が言うように、送検写真で容姿を見た私の印象も、殺人犯の容姿を形容してよく言われるような卑劣で陰湿ではない。その見た目からして、見ず知らずの理沙を狙わぬまでも、恋人の1人や2人はいたのではないのだろうか。

事件の迷宮入りが囁かれるなか警察はDNAの任意提出を、過去に理沙の自宅マンション周辺に住んでいた人物にも広げていた。そして、男の引っ越し先である福島県矢吹町の実家まで捜査網を広げDNAサンプルを採取し、逮捕に漕ぎつけたのだ。

ここで、逮捕された戸倉高広という男の足取りを追いたい。

戸倉は6月まで中野新橋に住み、新宿の不動産会社に勤務していた。元同僚によれば「大人しい性格だった」という。仕事を辞めて実家に出戻る理由を聞いたところ、「年下の彼女と結婚するから」と語ったそうだ。

が、矢吹町に戻るも、実際には年下の彼女の存在もなければ、働きもせず母親から小遣いをもらいパチンコに明け暮れていたらしい。

なぜ戸倉は親のスネを齧られるのか。なぜ彼の両親は37歳にもなった息子をサポートし続けるのか。私はその生活ぶりを確認するため、戸倉の実家に飛んだ。