容疑を否認する犯人に、泰造が取った“手段”とは
殺人事件で逮捕された者はご多分にもれず、容疑を否認する。戸倉も例外ではない。いくら証拠が揃っていようとも、一縷の望みをかけて自白を拒むのだ。
否認を知った泰蔵は、事件の解決を実感するには程遠かったという。
「まず知らない顔だったんですよね。率直にこいつかとは思いましたけど。犯人が否認してると聞いて、なんでしょう、憎悪とは別に手が届くにはあまりにも遠いと感じました。ちくしょうとか思いながらも、推移を見守るしかない状態だったので、情報を仕入れて精査していくっていう作業でいっぱいいっぱいでしたね」
翌日以降も各社の続報は続く。泰蔵は続ける。
「僕がいちばん気にしていたのは、実は持ち物なんです。理沙の部屋から盗み出したとされる、私物たち。それだけは何としてもご両親に返してあげたい、届けてあげたいと思って。ずっと気に留めながら仕事中にもチラっチラってスマホを見るんですけど、何かの記事に【持ち物は捨てた供述……】なんて書いてあったときには正直、絶望しましたね。似たような情報がヤフーニュースで何度も流れてきた、ボクシングのパンチみたいにドコドコドコドコって。その記事、一つ一つが蓄積し、まるでボディーブローのように胸を抉る。だからずっと泣いてましたよ」
しかし数日も経つと、容疑者否認のまま些細な続報すら聞こえてこなくなった。
「悲嘆に暮れられていただけ幸せだったんですね。あれ?あの200日は何だったんだろうって。犯人が逮捕されても事件直後の気持ちと変わらないなんて全く想像していませんでした」
虚無感しかなかったと泰蔵は言う。犯人逮捕には至ったが、事件の真相はわからずじまい。彼にはまだやり残したことがあった。
数ヶ月後、泰蔵は東京拘置所に出向き、収監されている戸倉に面会を申し込んだ。関係性の欄に事件関係者とだけ記したのは、理沙の彼氏だと知られると謝絶されるのではと考えたからである。すると戸倉はすんなり面会を受け入れた。恐らく誰だかわかっていなかったに違いない。
面会の目的は、とにかく彼と対峙し、活字になって漏れ伝わる話ではなく、目を見て、耳で聞いて、その所作や声色からコトの真偽を判断するためである。きっと検察や弁護士にも話してないことがあるはずだ。
「質問に対する反応を見たかったんです。目は言葉以上にものを語るから、犯人の目を見て10分でも、15分でもいいから話してみたかった」
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「俺のことわかる?」恋人を奪った犯人との対峙
アクリル板越しに向き合い泰蔵が鋭く睨みつけると、戸倉は驚いたような表情を浮かべた。しかし「誰ですか?」などの質問はもちろん、「えっ?」などとも感情を言語化はしない。終始無言のままだ。
「だから『俺のことわかる?』って聞いてやったんです。言葉が乱暴になったのは、恋人を殺した相手に敬語を使うのも嫌だったので」
「反応はありましたか?」
「何も答えなかったから、『わかんないんだ、まあいいや』と質問を切りました。そして畳みかけました。『全部話した?』『検察や弁護士に話してないこともあるんじゃないの?』って。答えないまでも、だんだん形相が変わってきましたよね。
驚いた顔から、ちょっと眉間にしわを寄せ気味な感じに。僕が負けじと睨み返すと、視線を逸らして目が虚ろになっていった。だから僕は、逃げるなよと言わんばかりに相手を覗き込み、目を合わせ続けたんです」
恐らく戸倉は理沙の兄弟か彼氏などの親しい人物と感づいたことだろう。それは戸倉が、面会時間の15分を待たずに泰蔵の視線を遮るかのごとく刑務官に「すいません、面会を中止してください」と告げたことでもわかる。
「顔を背けながら席を立ち、うつむいたままで言ったんですよ。戸倉が発した言葉はこれだけです」
謝罪はもちろん、日常会話に付き合う構えもない。果たして泰蔵は、戸倉の虚ろな目の奥に自分が助かるためなら裁判で嘘の証言を厭わない無慈悲な素顔を見る。
収穫はなかったが泰蔵は、真相を追い求める思いをさらに強くした。
「理沙の身に起きた真実を知りたい。ただそれだけ。あのとき、彼女の身に何があったのか。なぜ理沙は戸倉に殺されなければいけなかったのか。真実は裁判所の記録にもない。全ては犯人が持っている。あの男だけが本当の理由を知っているんです。自分は事件以来、常に真相を追い求めるべきか否か、早く忘れて気持ちも新たに食えるような役者を目指す、それを彼女も望んでいるのではと自問自答を繰り返してきました。でも結論は真相を追い求めることでした。悩めば悩むほどその思いを強くしたのです。道しるべになったのは、たった一つ。理沙が大好きだからです。その気持ちに嘘はないから、間違いじゃないと、彼女もそのことは否定しないと信じています」
面会はわずか6分ほどで終了。戸倉は逃げるように部屋を後にした。
(文中敬称略)
写真/『事件の涙』より