〈中野・劇団員殺人事件〉「絶対に犯人を見つけてやる」ある日突然、恋人を殺された男性“決意と奔走の200日”

作られた「酒癖が悪い」被害者像、実際は…

証言者は言う。

「確かにそういう会話を聞きました。記者さんから事件前に何か異変はなかったかと聞かれて思い出したから話したんです。時期はもしかしたらもっと前かもしれませんけど」

「本当にリサ、という単語を聞いたんですか?」

「と思いますけど、定かではないです。記者さんから被害者の名前を理沙だと聞いたから、そうだと思って……」

話がブレすぎている。むしろマスコミに誘導された感が強いのでは。確かに理沙は酒好きだったが、泰蔵が話す彼女はマスコミが作り出した「酒癖が悪い女性」像とは明らかに別人だった。

「理沙は、舞台は見に行くの大変だけど、ドラマだったら実家の祖母も見れるから早くドラマに出るような女優になりたいな。そのためにも頑張って有名にならなきゃって」

祖母を溺愛する彼女の部屋には、祖母との手紙がたくさん残っていたという。念のため捜査員に確認するも、「あんな話、相手にしていないよ」と一笑する。やはり誤報だったのだ。

泰蔵の独自捜査は毎晩、新聞配達が動き出す午前4時頃まで続いた。始発までの間、「松屋」で休憩するのが恒例になった。収穫はないが、牛丼を食べながら明日への誓いを立てる。

「でも、不思議と気持ちは前向きでしたね。じゃあ明日も、また明後日もって」

始発列車で自宅に帰りシャワーを浴びる。1時間だけ仮眠を取り家を飛び出す。身体はキツいがアルバイトを辞めたら探し続けることもできない。

むろん、警察による懸命な捜査も続けられていた。最寄駅の改札口前では毎晩、私服の刑事が目を光らせ、怪しい人物に聞き取りを行った。さらに、理沙と面識があるとわかれば、たとえ数年前に一度会っただけでも片っ端から指紋やDNAの提出を求めるようになっていた。

任意で求められた男性のひとりは言う。

「突然、警察が自宅に来たときは驚きました。〝加賀谷さんの件で〟と言われても全くピンとこなかったです。よくよく聞くと、理沙さんが事件で亡くなっていると、それすら知らなかったです。もちろん、DNAや指紋には協力しました。でも、一度仕事関係の飲み会で同席して連絡先を交換した程度の仲です。事件から2年ぐらい前じゃないですか。加賀谷さんが、OLをしていた頃です。その後、1度や2度、メールで時候の挨拶ぐらいはしましたけど、その程度です。警察はどうやって私にたどり着いたのか驚きましたよ。理沙さんは大人しいというか、半歩下がっているような女性というイメージ、可愛らしい女性でした。本当に残念に思いましたよね」

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再会の時、彼女は“白い箱”になっていた

一方、泰蔵の行動はすぐに広く知れ渡り、刑事を通じてやがて理沙の母親の耳にも届く。

「せめて一言だけでも謝りたいです。会ってほしいと伝えていただけませんか?」

両親が上京している旨を刑事から聞いた彼が懇願すると、母親はすんなり受け入れてくれた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。守ることができずにごめんなさい」

まともに顔を見られないまま言うと、母親は「ありがとう、本当にありがとう」と彼の手を取り言った。

「ぜひ、娘に会いに来てね」

見上げるとそこに、理沙にソックリな母親の、優しく微笑む顔があった。

以来、泰蔵と理沙の両親との交流が始まる。彼女のもとへ、すぐにでも。気持ちは早るが、しばらく先までアルバイトの予定を入れてしまっていた。休みはないか。連休はないか。手帳に記された予定表を目で追うと、思いがけないことに9月末に連休を取っていたことがわかった。

理沙と2人で過ごしたいと休みを取っていたんだ……。自分の誕生日のことすら忘れていたという。それだけ事件に忙殺されていたのである。

すぐに新幹線の予約を入れ、そして、誕生日である9月20日に泰蔵は、満を持して理沙に会いに行く。緊張と淡い思いが入り乱れる、はずだった。だが彼は、彼女が白い箱になっているという現実を目の当たりにして、自分の無力さに膝から崩れ落ちる、だけだった。

「実は事件後、僕は彼女とは対面できてないんですよ。自分も疑われていたというのもあって、親族だけで荼毘に付されていたんです。そしてお骨になって実家で過ごしていたので、あの日、初めての再会だったんです」

彼女の遺骨を見てもまだ、信じられなかった。そのとき、最後に会話したときのことを思い出した。

「新宿へ向かう電車で、自分が先に降りて『お疲れ~』って手を振った。僕らはそれっきりだった。あれから、たった1ヶ月ですよ。それなのに彼女が白い箱になっている現実……。つらかったです。箱を撫でてお母さんたちが昔の写真とか飾っているのを見て、自分の付き合いの浅さを恨みましたし、彼女を守れなかったことの責任の大きさを実感しました。本当に申し訳ないなって」

泰蔵は理沙を助けられなかった後悔から来る彼女の命の重みを、深く噛み締めるようにしてじっと息を潜めた。両親には、彼女がどれだけ真剣に女優を目指していたかを伝えることで精一杯だったという。

その後も毎日、泰蔵は疲れと興奮を反芻しながら、ただひたすら彼女の自宅マンション周辺を歩いた。まだ容疑者すら浮上していない。

(文中敬称略)

写真/『事件の涙』より出典