第54回:『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』待望の続編に米映画ファン困惑!対 視聴者大絶賛のHBOオリジナルシリーズ「THE PENGUIN-ザ・ペンギン-」の話題

トッド・フィリップス監督の映画『ジョーカー』(2019)から5年。続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の公開は大きな期待を集めていた。しかし、前作『ジョーカー』の「CinemaScore」でB+,  映画評論サイト「Rotten Tomatoes」のフレッシュトマト68パーセントのおすすめ映画という批評に対し、今作は「CinemaScore」でD、「Rotten Tomatoes」でロッテントマト33パーセントという評価 (日本時間10月9日13時時点) 。

それでも待ち望んでいた観客は映画を早々と観に行ったが、その感想は天と地の差。前作から3倍以上の製作費をかけた『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の全米オープニング興行は40ミリオンドルを下回る結果で、前作の半分以下。対して、先月21日に生誕85周年を迎えた「バットマン」は、DCコミックスコンテンツのさらなる世界観を広げるかのように、先月末にマット・リーヴス監督映画『THE BATMAN ―ザ・バットマン―』(2022)のスピンオフシリーズ「THE PENGUIN-ザ・ペンギン-」がHBO(日本ではU-NEXT)で配信が始まった。今まで描かれなかった切り口でゴッサム旋風を巻き起こし、批評家からも大絶賛で好調なスタートを切った。

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』アンチ・ヒーローの仮面がはがれるとき

ジョーカーの映画には逸話が絶えない。クリストファー・ノーラン監督作『ダークナイト』(2008)のジョーカー役を演じた俳優ヒース・レジャーが映画公開前に、28歳という若さで、遺体が自宅で発見されたのは15年前。近くには処方された睡眠薬が散乱していたという。以来、精神までも病むほどにアナーキーなジョーカーという悪役を演じる俳優が再び登場するのかが問われていた。そして2019年に誕生したのが、前作『ジョーカー』。トッド・フィリップス監督作は予算5.5ミリオンドルに対して、北米オープニング興行収入96.2ミリオンドル、プラス全世界累計興収10億ドルで合計1ビリオンドルと興行成績も記録的大ヒット。アカデミー賞では11部門でノミネートされ、ホアキン・フェニックスが主演男優賞、アイスランド レイキャビク出身の女性作曲家ヒドゥル・グドナドッティルが作曲賞を受賞し、DCコミックス「バットマン」スピンオフのジョーカー映画をセンセーショナルにリバースさせたのである。

主人公アーサーが、アンチ・ヒーローとして誕生後、5年の年月をかけて生まれる続編への期待は、前作の名場面と同じ階段の上で踊るホアキンとレディー・ガガの2ショットが予告編で流れたころから、ファンや批評家の心を躍らせた。サブタイトルの“フォリ・ア・ドゥ”は“2人狂い”を意味し、仏語で、同じ妄想を複数人で共有する精神障害のこと。

舞台はゴッサムシティのアーカム精神病棟の監獄刑務所。細くて骨のうきあがった背中で、あの狂気を隠すかのようにうずくまる痩せた囚人が主人公アーサー・フレック。刑罰の理由は、アーサーが同僚ほか、地下鉄の集団、インタビュー収録中のテレビショーホスト(ロバート・デニーロ)、さらには、自らの母親まで殺した6つの殺人罪など。裁判で死刑が下されるのか、ゴッサム中の話題となっていた。

アーサーの”ジョーカー”という仮面で行った残虐行為は、虐待された生い立ちなどに同情票が集まり、彼を有名人にした。囚人たちの中にもジョーカー崇拝者が存在。彼にキスされて有頂天になる狂人もいるなど、狂気がみなぎるさまは前作にも匹敵する。刑務所でのアーサーの扱いも特別。思いやりのある女性弁護士(キャサリン・キーナー)は建設的にアーサーの二重人格障害を証明しようと心理療法を活用して裁判の準備。アーサーに同情する刑務所護衛官(ブレンダン・グリーソン)も、刑の軽い精神病院患者が加わるコーラスグループに参加させる。

そこで出会う美しいリーに一目惚れするアーサー。ジョーカー崇拝者のリーは、アーサーのハートを軽々と射止め、「2人で刑務所から逃げ出して逃避行しよう」と生い立ちの嘘までついてほのめかす。アーサーは今まで経験したことのない恋にはまり、ふたたびジョーカーの仮面を被って妄想に酔いしれる。しかし、裁判の過程で再会する隣人たちの証言者によって、アーサー自身の人格が甦り、自らの変貌ぶりに悩みはじめる。リーはジョーカーのピエロメイクを真似てハーレイ・クインへと変貌。ジョーカーに近づくことでより一層気分を高まらせ、まさに“フォリ・ア・ドゥ”へと堕ちていく。ゾクゾクする構成なのだが、2人が恋に落ちていく様子がデュエットのミュージカル楽曲に置き換えられ、次第に観客が疎外され、いっしょに踊れない展開が待っているのである。

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ミュージカル楽曲はアーサーの幼少時代を写す鏡だったはず‥‥

注:以下、本作のネタバレあり

まず、観客の不満を上げると、「見たかったのはジョーカーの映画であって、ミュージカルじゃない。」そう、この続編について前情報なしで観た人は、この映画の主要な場面がミュージカルとなっている点に驚くはず。行き過ぎた派手さと明るすぎる歌曲でアーサーとリーの妄想の中の恋を盛り上げようとするのだが、物語とつながらずに空回り。しまいにはリーがハーレー・クインとなり、その傲慢さを嫌うまでに至った観客は嘆き、その悔しさと怒りの鉄拳をSNSで露わにしている。

しかし、「Rotten Tomatoes」の観客レビューの中には、主人公の暗さと妄想的な部分がとても気に入ったという人もおり、レビュアーのErnest M氏は「皆、この映画の意図するポイントをミスってる。騒乱や革命をこの映画に期待しているようだが、精神に異常をきたした主人公と、同じ妄想に翻弄されて主人公が苦しんでいる点は前作と同じ。ミュージカルナンバーはその妄想をより拡大させているようなものであり、レディー・ガガも同じだ。私は映画館の中で美しく創造されたバットマンの世界に浸ることができて満足な時間を過ごした。過小評価されていることは確かだが、最もハイクォリティの映画館で観ることをおすすめする。」とある。

Many have missed the point here. People seem to have been expecting an all-out call for mayhem and revolution from this film, while instead it sticks to the reality of the mentally disturbed main character and his continued delusions of the same kind he suffered in the first movie. The musical numbers are like a growing extension of the glamorous, big show delusions he had in the first movie and Gaga is the same. I thoroughly enjoyed my time in the theater watching these beautifully crafted images of somewhere in Batman world. Underrated for sure, worth checking out in the highest quality theater available.(Oct 8, 2024)

確かに映画のゴッサムシティはどこから見ても完璧なバットマン・ユニバースだし、主人公アーサーほか、助演俳優たちも実力派。そして、このミュージカルシーンには相当な情熱と労力が注ぎ込まれている。レディー・ガガとホアキンは楽曲をリップシンクで歌ったのではなく、映画のセットで生演奏で収録したそうで、歌も演技も相当練習を重ねたに違いない。ラスベガスで行われるレディー・ガガのライブ・ジャズ・ショーに一度行ってみたかった私のような観客は、映画とは全く別の観点で、しかも映画1本分の価格でレディー・ガガ・ショーを鑑賞できるというポジティブな見方も出来る。ミュージカル楽曲はアーサーの幼少時代を写す鏡で、楽天的なミュージカル楽曲は、前作でアーサーが子供時代に母と愛したハリウッド黄金時代のミュージカルナンバーを反映する内容。

たとえば、1966年にブロードウェイで初演された「スイート・チャリティー」の楽曲「If My Friends Could See Me Now」は、愛されたかった女の子の物語で、楽曲の明るさと比べて、内容は悲恋をうながし、スターに憧れて捨てられる女の子の心を描いたミュージカルナンバー。製作陣が意図した楽曲の数々を知っていれば内容も映画の構成から逸れてないことは事実。ただレディー・ガガが堂々としていて、メンタルヘルスを抱えている2人には見えず、とくに、深刻な精神病を患う主人公アーサーの物語にミュージカルナンバーは水と油。そのデュエットシーンが続くあたりから、ジョーカーは観客にとってもカリスマを失っていく。やがて自らが罪人であり、二重人格ではないことを裁判で告白。ジョーカーの仮面をはずした人間に魅力を感じないハーレイ・クインはアーサーを拒絶。アーサーに救いの手は差し伸べられるのか、いとも悲しい物語となっていくのである。

9月初旬のヴェネツィア国際映画祭で12分間に及ぶ長いスタンディング・オベーションで迎えられたホアキンとレディー・ガガ。プレミアに豪華なディオール・クチュールのドレスとレースのヘッドピースで登場したレディー・ガガは「この映画はミュージカルじゃない」と主張。「主要な台詞は脚本の中にあり、前作ですでにホアキンの演技がこの映画のハードルをより高く設定しました。社会から理解されなかった人たちのことを描いた作品からは多くのことを学ぶことができるし、私自身も今まで気づかなかったことをこの作品から学びました。」とインタビューで答えていた。