2016年1月に発生した「三島バイク交通死亡事故」。スクーターで交差点を走行中だった仲澤勝美さん(当時50歳)が、信号無視をした乗用車にはねられ命を落とした。遺族の懸命な目撃者探しにより相手側の過失が明らかになるも、加害者は裁判で無罪を主張。実刑を求める家族を阻んだのは司法の“悪しき判例”だった。
『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。(前・後編の後編)
加害者は嘘の証言繰り返し“実刑逃れ”
初公判は2020年5月28日、静岡地裁沼津支部で開かれた。証言台に立ったWは「青信号を確認して交差点に入った」と無罪を主張し、従来の証言を変えなかった。
大きな動きがあったのは、カーナビの解析結果が発表された5ヶ月後の第2回公判である。カーナビは、Wが交差点に進入したとき、信号が赤に変わってから7秒も経過していたことを記録していた。信号は紛れもなく〝赤〟だったのである。
その証拠が出されるや否や、Wは言動を豹変させる。今までの言動がなかったかのようにあっけなく赤信号を見落したことを認め、すぐに弁護士を通じて謝罪文と見舞金100万円を受け取ってほしいと申し出た。杏梨(勝美の娘)は言う。
「今さら何を言ってるの、と。なにせ、一度も私たちのほうを見て頭を下げなかったんですから。申し訳ないと思っています。そう口にはしましたが、まるで自分の刑を軽くするため裁判官に向けて謝罪してるようなパフォーマンスにしか思えませんでした」
彼女の推測は的を射ていた。公判の過程で、Wが事故の約1年前にも前方不注意で前の車に衝突し、運転手に怪我を負わせていたことが判明したのだ。しかも、Wの夫は「そんな大した事故じゃなくて。人身事故になんてなるとは思ってなかったんですけどね」と笑いながら話した。その口調は、まるで運が悪かったとでも言いたげだ。
なぜ信号確認を怠たったかについても、Wは「自分でもよくわかりません」と供述するだけで、明確な答えが出ることはなかった。遺族はスマホ操作による〝ながら運転〟を疑い、警察や検察に調査を要請する。しかし捜査機関が事故原因を究明することはなかった。勝美の過失として発表した手前、事を荒立てたくはない。そんな思惑すら見えてくる。
Wも、ながら運転を一貫して否認した。過失運転致死罪に、ながら運転が加わると、判例ではここ数年、実刑になることが多いからだろう。
裁判は真実を明らかにする場所ではなく、罪状と判例に当てはめるための儀式なのか。私には、勝美の死があまりに軽んじられている気がしてならない。
裁判はさらに混沌とする。加害者側が遺族の事故後の行いについても批判を繰り返したことに関し、ついには不偏不党の立場を守る裁判長の堪忍袋の緒が切れ、審理を中断してまで長時間の説教を行ったのだ。
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無情な「執行猶予付き」判決に、遺族の思いは
事故から約2年後の2021年3月15日、Wへの判決が言い渡された。禁錮3年、執行猶予5年。予想どおりではあるが、実刑にはならなかったことで法廷には知枝(勝美の妻)のむせび泣く声が響いた。
裁判長は、事実に反する供述を繰り返し、真摯な反省がされているとは到底言えないとも指摘したうえで、判決理由を次のように述べた。
「二度と運転しないことを誓っていることや、単純過失の交通死亡事故の判例などから、実刑が相当とまでとは言えない」
執行猶予がついたことで、各メディアはWの実名報道を取りやめた。勝美はこの世を去り、Wは日常生活に戻ることになる。知枝は話す。
「判決を聞いた瞬間、パパごめんねって。本当に納得できない結果でした。主人の性格からしたら、きっと、ありがとう、もういいよって言ってくれてるとは思うんですけど、やっぱり私も気持ちの整理ができなくて」
杏梨は、知枝より冷静でいながらも、やはり悔しさを隠しきれない。
「私たちが父の性格や帰宅ルートを知っていたから、父の過失がないと証明できたけど。この裁判は嘘を言ってもバレなきゃいいし、バレても執行猶予つくって、図らずも証明してしまった」
唯一の救いは、高橋弁護士(一家の代理人弁護士を務めた高橋正人氏)が判決後に会見を開き、司法や捜査機関を痛烈に批判したことである。
「私は遺族を褒めてあげたい、よくここまで頑張ったと。もし遺族が一生懸命、署名活動をしたり、チラシを配って目撃証言を集めていなかったら、勝美さんが加害者の立場だった。それをひっくり返したのは三島警察でもありません。検察庁でもありません。家族たちなんですよ。この事実を裁判所は見逃している。裁判所は遺族の苦しみを全く理解していない」
会見の席上で、高橋弁護士は「だから検察は控訴をすべきだ」と声を荒げた。「こんな判例を後世に残してはいけない」と強く訴えた。が、検察が控訴することはなかった。判決が確定したとき、知枝は「結局、被害者に救いはない」と悟ったという。それはWが司法の悪しき判例に守られた瞬間でもある。