日本にもかつてあった徴兵制。しかしどうしても兵士になりたくない人たちもいた。 / Credit:canva
現在でも韓国やイスラエルなどといった国では徴兵制度が実施されていますが、戦前の日本でも行われていました。
しかし現在の韓国でしばしば徴兵逃れをする人が問題になっているように、戦前の日本でも徴兵逃れをする人はいたのです。
果たして戦前の人々は、どういった手段を用いて徴兵逃れを行っていたのでしょうか?
この記事では戦前に徴兵から逃げたい人が合法・非合法を問わずどのような手段で徴兵から逃げていたのかについて紹介していきます。
なおこの研究は、京女法学第22号に詳細が書かれています。
目次
最初は条件がゆるかった徴兵令海外移住、進学、中には犯罪者になることを選ぶものも非合法な徴兵逃れ「失踪、詐病」、中には命を絶つものも
最初は条件がゆるかった徴兵令
日本の徴兵検査の光景、全員全裸で行われていた / credit:wikipedia
日本で徴兵制度が始まったのは1873年です。
富国強兵を目指す明治政府は、国民皆兵を目指すために徴兵令を出しました。
しかし当初の徴兵制度では様々な除外要件があったのです。
たとえば一家の主やその後継者とされていた長男は徴兵の対象外とされていたことを利用して、名目上の分家を行って一家の主になったり、後継者のいない家に養子縁組を行ったりして、徴兵から逃れることができました。
また当時の北海道では徴兵制の施行が本土よりも遅かったこともあり、北海道に本籍地を移すことによって徴兵から逃れる人も数多くいたのです。
さらにこのころの徴兵制度では対象者全員が徴兵されているわけはなく、その中から抽選で選ばれた人のみが徴兵されていました。
そのため当時の徴兵制度は国民の間で不公平感が非常に高く、徴兵を回避するための対策も色々あったため逃れる人が多かったのです。
そのことは政府も問題視しており、1889年の徴兵令改正で除外要件は大きく減ったのです。
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海外移住、進学、中には犯罪者になることを選ぶものも
徴兵から逃げるために海外へ逃げる人は決して少なくなかった / credit:いらすとや
しかし改正以降も徴兵逃れの手段はなかったわけではなく、1895年に「海外に住んでいる人は徴兵が猶予される」というルールが出来ると、海外移住は徴兵逃れの方法として広く認識されるようになりました。
海外に移住した場合は毎年在外公館に徴兵延期願を出し続ければ合法的に徴兵から逃れることができ、それゆえ中にはアメリカに移住後19年間徴兵猶予願を出し続けていた人もいます。
中には徴兵猶予願すら出さずにそのまま行方をくらます人さえいたとのことですが、当時の在外公館には徴兵逃れの人を探す人員はいなかったこともあり、ほとんどの人はそのまま徴兵から逃げることができました。
当時徴兵制が敷かれていたのは日本本土だけであったこともあり、海外とはいかなくても1895年に植民地になった台湾、1910年に植民地になった朝鮮、1919年委任統治領になった南洋諸島(パラオやサイパンなど)などに移住して徴兵から逃れる動きもあったのです。
それでも第二次世界大戦が激化すると植民地でも徴兵が行われるようになり、1944年には朝鮮、1945年には台湾で徴兵制が実施されました。
また第二次世界大戦末期を除いて学校に通っている間は徴兵が猶予されていたこともあり、徴兵を引き延ばすためだけに進学する人も多くいました。
中には徴兵から逃れるためだけに在籍だけして全く通学していない人さえおり、1934年の陸軍省の調査によると私立大学に400人ほどの不通学在籍者がいたとのことです。
さらに珍しい例ですが、「徴兵されるよりは刑務所に入った方がマシ」と考え、犯罪を繰り返して刑務所に何度も入ることによって徴兵から逃げたものもいました。