ボローニャ大学における1350年代の講義風景を描いた写本挿絵、このような雰囲気の教室で学生たちは授業を受けていた / credit:wikipedia

日本において大学が出来たのは明治時代ですが、ヨーロッパでは中世の時代から大学があり、大学で専門的な知識を身に着けていました。

しかし大学といっても、現代のそれとは大きく異なっています。

果たして中世ヨーロッパの大学はどのようなものであったのでしょうか?

本記事では大学がどうやって生まれたかの起源を紹介し、中世の大学が現在とどのように異なっていたのかについて紹介します。

なおこの研究は長野県看護大学紀要7 : 93-100 , 2005に詳細が書かれています。

目次

自然に発生した中世ヨーロッパの大学経済学部も工学部もなかった中世ヨーロッパの大学の学部留学が盛んだった中世ヨーロッパ

自然に発生した中世ヨーロッパの大学


ボローニャ大学における1350年代の講義風景を描いた写本挿絵、このような雰囲気の教室で学生たちは授業を受けていた / credit:wikipedia

ヨーロッパ中世の大学の起源は、言葉の由来やギルドの概念から洞察できます。

英語の”university”は、ラテン語の”universus: ウニヴェルスス”(全体)から派生した”universitas: ウニヴェルシタス”(共同体)に由来し、中世では組合の意味で使われていました。

これは”universitas magistrorum et scholarum: ウニヴェルシタス・マギストロールム・エト・スコラルム”(教師・学者の共同体)として具現化され、後に”universitas:”と短縮されました

一方で、英語の”college”もラテン語の”collegium: コレギウム”に基づいており、これは「同僚、仲間、組合」を指しています。

組合という言葉が示すように、ヨーロッパの大学は学問を共通の目的とする人々が結集し、自らの立場や利益を守るための組合組織でした。

これは、日本の大学のようにすでに学校という形態が確立されてから生まれたものとは異なり、自然発生的に生まれた集まりでした。

そのため大学の原型となったヨーロッパ最古の大学は、イタリアのボローニャ大学とサレルノ大学、フランスのパリ大学とされますが、明確な創立年はありません。

またイタリアのボローニャでは異国滞在する学生たちが市民権を持たないことから、ギルドが形成され、生活権の交渉や教師の雇用などが行われました。

さらにこれらの大学はキャンパスを持たず、講義は教師の自宅や教会で行われました。

しかし、学生集団の存在は経済的利益をもたらすことから、市当局や市民はこれらの外国籍学生団を保護したのです。

これらの歴史的な経緯から、ヨーロッパの大学は自治組織として発展し、学問と自由の思想が根付いていくことになります。

(広告の後にも続きます)

経済学部も工学部もなかった中世ヨーロッパの大学の学部


リベラルアーツの7科目と哲学、中世大学ではこれらの科目を身に着けていることが教養人の証として見られていた。 / credit:wikipedia

それでは中世ヨーロッパの大学の学部はどのようなものであったのでしょうか?

中世の大学に入学した場合、まずは教養学部に所属し、リベラルアーツについて学びます。

リベラルアーツとは文法、修辞、論理、数学、音楽、幾何、天文の七教科のことを指し、ローマ時代末期の頃から自由民に必要な教養として言われていました。

教養学部を終了した学生は、その上にある神学部、法学部、医学部の3つの上級学部のいずれかに進学し、それぞれ聖職者、法律家、医師になるための専門教育を受けました。

なお各大学は現在の大学のように看板学部を持っており、パリ大学は神学部、ボローニャ大学は法学部、サレルノ大学は医学部を看板学部にしていました。

また教養学部を修了した後、全員が上級学部に進学するわけではありませんでした。

例えば後に物理学者として名を馳せるアイザック・ニュートンはケンブリッジ大学の教養学部を卒業後上級学部には進学せず、大学の研究員として就職し、後に幾何学や算術、天文学といった科目を教える教授になっています。