就活で内定辞退。その後「気球操縦士」として27歳で世界一の快挙を達成した話。

1カ月の「武者修行」でスランプを乗り越え、親子二人三脚での世界一

当時26歳の雄大さんは、世界でも自分の技術が通用するという自信はあったものの、「世界一にはまだ遠い」と感じていました。どうにか自分の殻を破りたいと考えていた時、雄大さんはある決断をします。それが、気球の強豪国であるアメリカでの武者修行でした。結果的に、そのチャレンジが選手としてのターニングポイントとなり、のちの世界選手権の活躍につながっていきます。

「2012年にアメリカで開催される世界選手権に出場するため、1カ月前から一人で武者修行のために現地入りしました。強豪国であるアメリカの選手と同じ環境でのフライトを重ねるため、いつもバックアップしてくれる日本のチームではなく、現地のボランティアクルーを集めて即席チームをつくり、各地のローカル大会に出場して回りました。

毎回チームメンバーが変わりますし、英語でのコミュニケーションもすごく大変。正直、『なぜ僕はこんな苦労をしているんだろう』と思うこともありました。ただ、競技の結果を左右する現地の気候や風を知れたこと、アメリカのような競技人口が多い強豪国で経験を積めたことは大きな自信になりましたね。

その甲斐もあり、世界選手権3位入賞。日本人で初めて世界大会のメダルを獲得することができたんです。その日は風を読む感覚がすごく研ぎ澄まされ、その土地を飛び慣れているアメリカ現地のパイロットたちとも対等に戦えた。自分も金メダルに届くんじゃないかという実感を得ました」

2012年にいい感触を掴み、上り調子が続いた藤田さん。その後、2014年の世界選手権では、なんと父も成し遂げられなかった日本人初の世界選手権優勝を達成。表彰台に登ってみて感じたのは、自分一人の力ではなく、両親の強い思いが引き寄せたものだということだったと言います。

「表彰台からみた父は涙を流していました。父の涙を見たのはそれがはじめてですね。父は若い時から世界一を目指してずっと挑戦し続けてきて、夢半ばで僕にバトンを渡すことになった。きっと、誰よりも僕の優勝を喜んでいたのだと思います。

その姿を見て、今回の金メダルは父の強い思いが引き寄せたものだと感じたんです。だからこそ、次の金メダルは自分の力で獲るんだと、心に誓いました」


藤田さんは世界選手権で獲得した金メダルを含め、これまでに3つのメダルを獲得してきた

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選手としてステップアップするため、コマーシャルフライトの道へ

その後も国内大会では一定の好成績を収めるものの、2018年の世界選手権では惨敗。そこで、2019年に雄大さんはスペインへと渡り、大型の気球に乗客を乗せてフライトするコマーシャルパイロットとしての活動を始めます。当時、世界選手権の上位にランクインする選手の多くがコマーシャルパイロットを経験していることを知っての決断でした。

「上位選手が生業にしているコマーシャルパイロットの世界を知らずに、世界でもう一度勝つことはできないと思ったんです。そこで、スペインに渡り、乗客を乗せるためのライセンスを取得し、観光客向けのフライトをしていました。観光気球を飛ばす環境に身を置いたことで、毎日のように飛ぶ機会を得ることができました」

その経験が活かされ、雄大さんは2019年に日本国内で開催された主要4大会のすべてで優勝という好成績を収めます。また、雄大さん同様気球一家で育ったという妻・華菜子さんとともに、気球の普及活動などの事業を行う会社「PUKAPUKA」を設立。選手としての活動と並行し、活躍の幅を広げていきます。


活動拠点となる自宅には気球のほか多くの器具を格納する倉庫を備えている