高知の元ヤンから、日本一バズる公務員に。ゆるキャラでふるさと納税額200万から34億へ。

企画部に配属 “超公務員”の伝説のはじまり

「須崎をスゲー町にする」。そう胸に秘め、2012年から須崎市役所ではたらきはじめましたが、周りから聞こえてきたのは「この町はもう終わっているから」という言葉。税収よりも借金が多く、財政破綻の恐れがある町だったのです。

「何か面白いことやるんじゃない?」という期待から企画部に配属された守時さんは、3カ月後、70ページにわたる企画書を出しました。内容は、ゆるキャラを使った情報発信の提案です。

「どこかのメディアに須崎市を取り上げてもらうのを待つのは正直しんどい。勝算があったわけではありませんが、自分たちの言いたいことを聞いてもらうためには、ゆるキャラを使ってTwitterで発信するしかないと考えました」


守時さんがリニューアルを提案する前の「初代しんじょう君」

当時の上司の応援もあり、2カ月で企画の実施が決定。「良いぞ、やれやれ!」という声援がある一方で、周囲からは「ゆるキャラブームはもう終わったやろ。何しとるん?」という冷めた声も。

しかし、守時さんは動じることなくキャラクターをリニューアルし、晴れてしんじょう君がデビューしました。

「手応えを感じはじめたのは、誕生から半年後です。しんじょう君がTwitterを始め、ブログを書いたり、イベントに出たりして過ごすうちに、ファンからプレゼントをもらえるようになったんです。

わざわざ会場まで贈り物を持ってきてくれる。これはすごいことだ!と思いました。目の前にいるこの人たちを大切にしよう、それがぼくらの役目だ、と決めたのもこのころです」

(広告の後にも続きます)

毎日心が折れていた……壮絶な舞台裏

ファンは増え続け、次第に発信力もつき始めたしんじょう君のSNS。ご当地名産やふるさと納税の情報を投稿するようになると、須崎町のふるさと納税の額はうなぎ上りとなり、しんじょう君の活躍が地域に還元されるようになりました。
しかし、その舞台裏は怒涛の日々でした。

「心なんて1日1回は折れていましたね。毎日のように各地へ出歩き、海外にも遠征するというはたらき方に前例がないので、庁内でもよく揉めましたし。普段の格好でテレビに出ると『あのチャラチャラした公務員はなんだ』という苦情を受けることもありました」

さらに、守時さんの仕事はしんじょう君の運営だけではありません。商業、工業、観光、移住・定住、地域おこし協力隊にまつわることなど、さまざまな業務がありました。すべてを投げ出したくなることはなかったのでしょうか?

「ありませんでした。変な使命感と執着があって、この町の1%くらいはぼくの肩にかかっている、って本気で思っていたんです」

とはいえ、ほかのゆるキャラの人気ぶりを見て落ちこむことも。とくに打ちのめされたのは、同じく四国出身で香川県が誇る「ツルきゃら うどん脳」でした。

「千葉県船橋市の『ふなっしー』もそうですが、彼らが登場すると自分たちの周りから人がバーッと消えていくからすぐに分かるんです。はじめて彼らの人気ぶりを目の当たりにしたときは『こんなキャラクターたちと競わなきゃいけないの?』とビビりました」

ほかのキャラの人気に圧倒されるばかりでしたが、ある日、転機が訪れます。

「配信で偉い人たちがゆるキャラについて対談しているのを見たんです。あれ、自分の方がちゃんと分析できている。もしかしてぼくって業界の最先端行っているんじゃない?と、ちょっと自信がつきました」

そして走り続け、2016年、しんじょう君はゆるキャラグランプリで優勝を果たしました。かつてはライバルだったうどん脳とも今では「超仲良し」。“ゆるキャラ戦国”を戦う友として、良いお付き合いが続いているそうです。