スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深堀りインタビューを行っています。
今回密着したのは、AKB48を卒業後、一度は芸能界から離れかけた福留光帆さん。「佐久間宣行のNOBROCK TV」への出演をきっかけに「大喜利の天才」として注目を集め、現在は再び芸能界で活躍しています。その裏には、挫折や葛藤、そして覚悟と挑戦の道のりがありました。福留さんの歩みから、自分らしくはたらくことの意味について考えます。
※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画一部を抜粋・編集してお届けします
憧れて飛び込んだ芸能の道。しかし現実は「もう無理」
幼いころから、福留さんの心には「普通」とは違う何かを求める気持ちがありました。小学生の時、芦田愛菜さん主演のテレビドラマを見て、演技の世界に憧れを抱きます。
福留さんは当時のことを「家でよく、妹と一緒にアイドルごっこをしていました」と笑顔で振り返ります。しかし、子役オーディションの現実は厳しく、書類審査すらも通らない日々が続いたそうです。
高校3年生でついにAKB48のオーディションに合格。当時の心境について、福田さんはこう語ります。
「『何か人と違ったことをしたい』っていうのは昔から思っていて。誰かの生き方を否定するわけじゃないんですけど、私は、普通に就職するのは嫌だなって思ってました」
念願叶って掴み取ったAKB48でしたが、これもまた現実は厳しいものでした。選抜メンバーには選ばれず、コロナ禍で活動が制限される中、18歳になった福留さんは焦りを感じ始めます。
「私はもう高校生でもない18歳で、ここから自分にフォーカスが当てられるわけない」
2021年5月に初めてコンサートにフル出演するチャンスが訪れるも、ダンスの練習についていけず、一部出演に降格。
「もう私、ここは伸びしろないわって思って。歳も取ったし、別に秀でているものがあるわけでもないから、もう無理だって」
2022年7月、福留さんはおよそ3年間所属したAKB48を卒業します。
「あのときに頑張れていたら、きっともっと変わってた未来があるんだろうなって今でも思ったりしますね。あのときに頑張りきれなかったのはめっちゃ後悔してます」
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AKBを辞めて「ガチニート」に。人生を変えたターニングポイントは?
AKB48を卒業後、福留さんは事務所に所属しながらも、3カ月ほど「ガチのニート」生活を送ります。
「学校帰りの妹にご飯作ってもらって……。マジ、クズでした」
その後、スマートフォンの修理店やカフェ、パチンコ店でのアルバイトを経験しますが、どれも長くは続きません。ついには芸能も事務所も辞めて真面目にはたらこうと、医療秘書の専門学校への進学を検討していた最中、福留さんのもとに舞台出演のオファーが届きます。
母親の「学校なんていつでも行ける。お芝居は昔からやりたかったことじゃないの?」という言葉に背中を押され、福留さんは舞台に立つことを決意。この舞台での経験が、福留さんのその後の人生を大きく変えることになりました。
「千秋楽の日にスタンディングオベーションを見て、『うわー、これもうちょっと頑張りたいわ』と思って。翌月にはもう上京してました」
しかし、上京後、福留さんは再び芸能界の厳しい現実に直面します。
「今まではAKBっていう看板のおかげで全部できてたわけじゃないですか。でも1人になった今、自分には何もない。グループもいないし、1人の限界を知ったというか。AKBのときは受身でもグループとしてのお仕事があったからよかったけど、1人になったときって、何もないわけですよ、自分に」
この苦境を打開するため、福留さんはグラビアにも挑戦します。
「ただのアイドル辞めたやつが芸能界にすがってるだけだ、みたいに思われたくなくて。やれることはなんでもやろう、知ってもらえる入口になることはなんでもやろうって」
結果、この決断が運命の出会いをもたらすことになるのです。グラビアの面談で出会った渡辺マネジャーが、福留さんの才能を見いだし、福留さんは一気にブレイクへの道を駆け上がっていきます。
「今のマネジャーさんが、すごく面白いって思ってくれたみたいで。だから私のターニングポイントっていうと、今のマネジャーさんと出会ったことかも。もう、彼のおかげなんですよ」