スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深堀りインタビューを行っています。
今回は、『水曜日のダウンタウン』や「さらば青春の光」のYouTubeで話題沸騰中の人気ピン芸人・ひょうろくさんに密着インタビューを行いました。
複数社からCMオファーが殺到する今、その独特な雰囲気と特徴的な外見で多くの人の目を引くひょうろくさん。しかし、その人生は決して平坦なものではありませんでした。ネガティブでありながらも楽観的。一見矛盾するようで、どこか納得してしまうひょうろくさんのはたらく価値観に迫ります。
※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画一部を抜粋・編集してお届けします
収入は安定。でも「窓際族」だったサラリーマン時代
ひょうろくさんは、もともと芸能界やお笑い芸人を目指していたわけではなく、どちらかというと将来への明確なビジョンが見つからないまま生きてきたといいます。
高等専門学校(高専)を卒業後、ひょうろくさんは千葉県の建築会社に就職。設計や営業を担当しながら4年間勤務していました。しかし、会社での仕事ぶりは決して芳しくなく、設計部門では出世コースから外れた「窓際族」に。営業部門に異動しても、ミスの連続だったといいます。
「契約前になって、お金が足りていないとか、しょっちゅう起きて……。メールで『この度は申し訳ございませんでした』って打つのだけはすごく早くなった」
そんな状況でも、「年収は500万円くらい」と安定した収入を得ていたといいます。
そして、ここで思わぬ転機が訪れます。高校の同級生と遊びでお笑いを始めることになったのです。会社の上司からは「お前で笑ったことないよ」と言われるほど普通のサラリーマンだったというひょうろくさん。それでも、突如としてお笑いの道に進む決断をします。
「高校の同級生が誘ってくれて、『一緒に仕事を辞めて行っちゃう?』みたいな話になって。思っちゃったからにはもう、退職届を出しちゃうみたいな感じでした」
この唐突ともいえる決断が、人生を大きく変えました。年収500万円の安定したサラリーマン生活から、未知の世界へ飛び込んだひょうろくさんを待ち受けていたものとは——?
(広告の後にも続きます)
苦難の芸人デビューから殻を破るまで「どうせ辞めるなら好きなことやっちゃえ」
ひょうろくさんの芸人としての道のりは、想像以上に険しいものでした。当時の相方と「ジュウジマル」というコンビを組み、M-1グランプリにも挑戦しますが、最高の結果でも3回戦進出と、目標としていた優勝には届きませんでした。さらに年収も激減……。
「月10〜11万円とかだったので、年収でいうと120、130万円とかですかね。地獄でした」
将来への不安に押しつぶされそうになりながらも、ひょうろくさんは前を向いて努力を続けました。
「毎晩震えてましたね。10年後、20年後に『これ、野垂れ死ぬんだろうな』って思うと、ガタガタって震えて。『まぁいっか』と思って寝ては、また夜になってガタガタ震えて、『まぁいっか』っていうのをずっと繰り返していました」
当時のひょうろくさんは、「お笑い芸人」というイメージに必死にしがみついていたといいます。現在の独特な雰囲気とはまったく異なる、典型的な「明るいキャラ」を演じようとしていたのです。
しかし、7年という長い月日を過ごす中で、心境が変化します。
「一生懸命『お笑い芸人さんってこうだろう』という価値観で頑張っていたんですけど、もう限界を感じて。どうせダメなら自分のしたいことして、したい格好して、言いたいこと言いたいって。どうせ辞めるんだったら、好きなことやって辞めちゃえと思ったんですよね」
この決意が、ひょうろくさんの独特のスタイルを形づくっていきました。
(YouTubeチャンネル「もち、ひょうろく」より引用 / https://youtu.be/2soe2XiPDEI?si=tTRqwJPYocxX5lYg)