代名詞が脳でどのように処理されているか判明!/Credit:Canva . 川勝康弘

なぜ人間は代名詞を使うのでしょうか?

彼や彼女のような「代名詞」は太郎や花子のような「名詞」に比べて情報精度に欠けています。

しかし私たちは日常の会話でも本を読むときにも「彼」や「彼女」が誰を指しているかがわからなくなることはありません。

オランダ神経科学研究所(NIN)で行われた新たな研究では、脳がどんな仕組みで名詞と代名詞のスムーズな結びつきを行っているかが明らかにされました。

今回は人間が代名詞を使う理由に迫ると共に、脳内での代名詞の情報処理の仕組みにも迫りたいと思います。

研究内容の詳細は2024年9月29日に『Science』にて発表されました。

目次

なぜ人間は情報精度に劣る「代名詞」を使うのか?代名詞は「効率化」や「特別感の演出」のために使われる名詞と代名詞を結びつける脳細胞が存在する

なぜ人間は情報精度に劣る「代名詞」を使うのか?


なぜ人間は情報精度に劣る「代名詞」を使うのか?/Credit:Canva . 川勝康弘

近年欧米では、he(彼)やshe(彼女)のような代名詞は、男女ありきの考えの押し付けに繋がるとして、代わりにthey(彼ら/彼女ら)を使おうとする運動がみられます。

たとえば従来は

太郎と花子が居酒屋に入ってきた。そして彼は椅子に座った

Taro and Hanako came into the bar. And he sat down on a chair.

と太郎に対して彼(he)という代名詞を使います。

しかし太郎が自分は男性でも女性でもなく彼(he)や彼女(she)を使いたくないと主張する場合には

太郎と花子が居酒屋に入ってきた。そして彼らは椅子に座った。

Taro and Hanako came into the bar. And they sat down on a chair.

と表現するように求められます。

こうすると、椅子に座ったのが太郎だけではなく花子も含まれるという意味に変化してしまします。

他にも同じ性別の人物が2人いる場合では

太郎と次郎が居酒屋に入ってきた。そして彼は椅子に座った

Taro and Jiro came into the tavern. And he sat down on a chair.

となり、太郎と次郎のどちらが椅子に座ったのかわからなくなっていまします。

一方、代名詞の代りに「太郎」という名詞を使い続ける場合には、このような間違いは発生しません。

このように代名詞は名詞に比べると情報が曖昧であり、使用法によっては情報伝達に混乱が起こることがあります。

しかし全体として、人間は名詞を代名詞に変換するのが非常に得意な生物であることは確かだと言えるでしょう。

本を読んでいて「代名詞が出てくるたびに誰だったかを確認しなければならない」という人や「会話の中で代名詞が出てくると話が分からなくなる」という人は、あまりいません。

実際、代名詞が全く存在しない言語というのは、地球上にほぼないと考えられています。

しかし、そもそも、なぜ代名詞というものが存在するのでしょうか?

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代名詞は「効率化」や「特別感の演出」のために使われる


代名詞は「効率化」や「特別感の演出」のために使われる/Credit:Canva . 川勝康弘

代名詞は情報伝達を効率化する

先に述べたように、代名詞を使用した文章は、正確性の点で名詞を使い続ける文章に比べて劣っています。

なのになぜ代名詞というものを、人々は使うようになったのでしょうか?

この点については、主に2つの理由があるとされます。

1つ目は代名詞は会話効率を高め、より短い発話でより長い名詞を表現するために出現したとするものです。

名前の中には徳川次郎三郎源朝臣家康(徳川家康の正式名)やジョージ・フレデリック・アーネスト・アルバート(ジョージ5世の正式名)など長めのものも存在します。

さらに医学の分野では「pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis(日本語では塵肺症、超微視的珪質火山塵肺疾患のこと)」と45文字に及ぶ名前を持った名詞も存在します。

たとえ正確性に勝っていても、このような名詞をそのまま使い続けることは合理的ではありません。

略すなり頭文字をとるなりして、何らかの代名詞化をしなければ会話も成り立たなくなるでしょう。

また太郎といった比較的簡単な名詞であっても「彼」というより簡単なバージョンに置き換えられれば効率化が進みます。

トルコ語では「彼・彼女」など男女別の代名詞を使用する代わりに「彼・彼女・それ」をまとめて「o」という極めて簡潔な代名詞で表現されます。

さらに会話者の間で十分な共通認識がある場合、名詞や代名詞すら省略して会話効率を高めている言語も存在します。

たとえば日本語やスペイン語などの「ご飯食べた?」という表現がそうです。

人間にとって情報は正確さが全てではなく、情報の簡潔さもまた重要な要素であるようです。

しかし興味深いことに、人間社会が複雑化するにつれて、代名詞は情報の簡潔さとかけ離れた状況でも使われるようになりました。

代名詞は人物を特別に感じさせることもできる

情報の効率化に加えたもう1つの要素。

それは、特別感の演出です。

代名詞を会話や文章の中で「最も目立つ存在」に対して使うことで、その存在が物語で重要であることを示す効果もあるとされています。

たとえば

二郎と三郎と四郎は顔を上げて壇上に立つ一郎を見つめた。そして……ついに彼は語り始めた。

という文章がそうです。

この文では「そして~」以降の後半の文で、あえて一郎と書かず彼と書かれています。

彼と呼んでいい存在は一郎から四郎まで4人いますが、その可能性を押しのけ、あえて一郎のみを「彼」とすることで、言語構造のレベルで特別感を演出することが可能になるからです。

小説などでは、このテクニックは非常に良く使われています。

さらに歴史的にも、社会のリーダーとなる人物は自らの代名詞をより鮮明に「特殊化」することが知られています。

たとえばかつて日本の天皇は自分に対して「朕」という特殊な一人称代名詞を用いてきました。

また歴代の中国の皇帝は「朕」に加えて「吾」という一人称代名詞を使いました。

さらにローマ皇帝はしばしば自分を示す際に「Nos(我々)」という複数を意味する代名詞を使いました。

これは「威厳の複数」と呼ばれる代名詞であり、文法書にも記されているのを見たことがある人もいるでしょう。

イギリス王室においても女王や国王が公式声明を行う際には、自分自身のことを「We(我々)」と「威厳の複数」を用いていることが知られています。

日本で社会的地位のある女性をしばしば「女史」とするのも、ある意味で特別な女性であることを意識させるための表現であると言えるでしょう。

重要なのは、このような特別感の付与は、敬称では上手くいかないものの、代名詞ならば可能だと言う点にあります。

自分で自分の名前に「様」や「殿」「女史」「博士」などの敬称を付けるとかなり愚かに聞こえますが、特別な代名詞を使うと、愚かさを回避しつつ凄みを出すことが可能です。

ただ朕やweのような特殊な代名詞を使用するには、周囲の人々との間に一定のコンセンサスが必要になります。

コンセンサスがない状態での特殊な代名詞の使用は、社会的に不適格だとみなされてしまいかねません。

たとえば子供の頃に、自分を偉ぶって「朕これからゲームする」と言ってしまった人もいるのではないでしょうか?

あるいは友達に対して、これからは自分のことを「教授」や「陛下」と呼ぶように強制した人もいるかもしれません。

実態の伴わない代名詞ほど惨めなものはないでしょうが(特に朕や陛下)、怖いもの知らずの幼い子供は、ついつい使ってしまうのかもしれません。

このように代名詞には「効率化」だけでなく「特別感の演出」という役割があることがわかります。

そう考えると、代名詞とは実に奥深いものであることがわかります。

ですがそれでも疑問は残ります。

なぜ人類はこうも、代名詞を巧みに扱うことができるのでしょうか?

そして日常会話や文章で頻出する「彼」や「彼女」を脳はどうやって特定の名詞と結び付けているのでしょうか?