井浦新×永瀬正敏インタビュー 甲斐さやか監督の魅力がつまった5年ぶりの新作『徒花-ADABANA-』

2019年長編映画デビュー作となった『赤い雪 Red Snow』(2019) は世界各国で称賛され、第14回JAJFF(Los Angeles Japan Film Festival)最優秀作品賞を受賞。完全オリジナル脚本で注目を浴びた甲斐さやか監督の5年ぶりの新作『徒花-ADABANA-』は、前作で監督の才能に惚れ込んだ井浦新が主演、永瀬正敏は助演という立ち位置で再び監督オリジナル脚本・監督作に出演し、10/18に公開がスタートする。

近未来を舞台に、死が近づいた主人公【新次】(井浦新)と臨床心理士【まほろ】(水原希子)、そして治療のために存在する【それ】との物語だ。命について、人間の価値について、静かに社会へ問いかける本作。今回は主演を務めた井浦新さんと新次の担当医【相津】を演じた永瀬正敏さんに、甲斐さやか監督が描く世界観や、ご自身の俳優としての指針を伺います。

――完成した作品を初めて観た時の率直な感想を教えて下さい。

永瀬:僕は最初から「甲斐監督、またチャレンジャーだな」と思っていたんです。クローンものというのは、既に結構な本数が制作されていますし、素晴らしい名作も作られています。それらの作品を超えるには同じことをやっても仕方ないので、“どうされるんだろう?”と思って脚本を読みました。それで「これか!」と。ちゃんと監督の想いが出来上がった作品に結実していました。それが良かったと思いましたし、すぐに次の作品が観たくなりました。この作品をきっかけに、次の甲斐監督の心の中の何かを、もう少し皆にシェアして欲しいと思いました。今すぐ、制作して欲しいぐらいです(笑)。

井浦:僕は台本を読んだ時、まず上質な小説を1冊読み上げたような気分になりました。甲斐監督の本は「台本を読んだ」という感じではないんです。その作り方もちょっと独特で、台本の行間というか‥‥。もう一度読み直した時、“これはどういうシーンになっていくんだろう?”という目線で読み進めていくうちに、“これは人間がやって成立するのだろうか?”と思うようになりました。甲斐監督の頭の中を純粋に言葉にした感じになっていて、“現場でどうやって撮影するんだろう?”というシーンばかりなんです。でも現場に入るとひとつずつ着々と撮影されていくので「スタッフさんも理解している、凄い」と思っていました。

そんな気持ちで初号を観た時、僕は自分が出演している作品なのに自分を感じないまま、ずっと“甲斐監督、変態過ぎる”ってケラケラと一人で笑っていたんです(笑)。皆がジーッと映画を観ている中で僕は笑いをこらえるのが逆に大変でした。現場でいつも甲斐監督は「OKです」と撮影しながら笑っていたのですが、“甲斐監督はこうやって楽しんでいるんだ”と、その感覚が初号を観た時にちょっと感じることが出来ました。

――甲斐監督から「小さい頃は物語を書く人になりたかった」というお話をお聞きしました。だから、『赤い雪 Red Snow』も小説にされていて本作も完全オリジナル。甲斐監督の書かれた脚本を見たことがないのですが、脚本も小説のような独特な書かれ方なのですか。

永瀬:いいえ、脚本は脚本です。でも、新君が言ったように独特な何かがあります。

井浦:具体的に言うと、ひとつの台詞の中にA・B・C・Dという言葉があるとします。A・B・C・Dと言った方が言いやすいし、伝わりやすいんです。でも甲斐監督はC・D・B・Aと言葉を組み換える、その組み方が甲斐監督らしいんです。その言葉の組み合わせを見ると“台本通りにやりたい”と思います。そこに甲斐監督の美意識があるんです。

――脚本もそうですが、それが甲斐さやか監督の魅力なんですね。

井浦:魅力の一つです。

――永瀬さんは今回、カメラマンとしても関わっていらっしゃいます。『徒花-ADABANA-』の世界観を切り取られていますが、とても面白いと思いました。どんなことを意識されていたのですか。

永瀬:最初に出演でお話を頂いた時に「写真も撮影してもらえませんか」と言われて、非常に嬉しくて「是非、やらせて下さい」と快諾したんです。その後、何度か打ち合わせをして、甲斐監督がコンテ(イメージ画)を描かれたりして、「こういうのがいいんじゃない?」というような話し合いの中で「監督の世界観を写真でも表現します」という感じになりました。あとは僕が脚本から受け取った各役柄のイメージと、ロケハンに行かせて頂いて、そこで発見したものなど、やりながら思いついたものを撮影しました。

例えば、山の中であるシーンを新君と【まほろ】役の(水原)希子ちゃんが撮影している時、僕は邪魔にならないところでライティング等のセッティングをしていたんです。僕はそのシーンの撮影がすんなり終わると思っていて、2人に負担をかけずに撮影が出来るなと思いながら準備をしていたんです。そしたら急に怒鳴り声が聞こえてきたんです。最初、撮影中とは気が付かなくて“これは最近では珍しい現場で喧嘩が始まったのではないか?止めに行かないといけないのではないか”と思っていたんです。そしたら今度は女性の声が聴こえてきて、そこで“これはシーン(演技)なんだ”と理解することが出来ました。

でも“こんなシーンあったっけ?”と不思議に思っていて。その後、皆が帰って来て「感情を出すところが変更になった」と聞きました。同業者なのでわかるのですが、あの叫びはお芝居でする叫びではありませんでした。本当に2人とも魂の叫びでした。準備段階で撮影させて欲しいイメージはあったのですが、あの2人の叫びを聞いたことで全然違うイメージが湧いてきて、“このイメージでも撮らせて欲しい”と思ったんです。甲斐組にはそういう瞬間があるんです。

井浦:ありますね。本当に。

永瀬:全て終わって帰って来てから“もっと『徒花-ADABANA-』を撮りたい”という気持ちにもなりました。新君がクローンと二役を演じるということだったので、クローンの始まりのイメージ、シャーレみたいなビーカーみたいなビンに半分だけ水を入れて、半分浸かるように花を挿す。「もしかしたらこっちがクローンでそっちが本体かも、いや反対かも」という感じの写真がどうしても撮りたくなって、家をまっ暗にして、飼い猫にニャーニャーと鳴かれながらライトをあてて撮影をしていました(笑)。何か不思議な感じでしたね。

それに今回、僕はあまり映りたくなかったんです(笑)。そこも写真を撮らせていただく心持ちと近かったかもしれません、黒子に徹するというか。最初に脚本を読ませて頂いた時に甲斐監督が意図するものは、僕は【新次】で【まほろ】なんだと思ってしまったんです。何かを決断する時って、心の中でせめぎ合いますよね。天使と悪魔ではありませんが。例えば「僕はこのまま生きていていいのか?アイツを殺してまで」みたいな疑問が「いやいや、生きるべきだ」というのと「果たしてそうなのだろうか?」というのが常に決断する時にせめぎ合う。【まほろ】もそうですよね。その葛藤、心もようが具体化した人なんだと甲斐監督の書かれた脚本から感じ取ったんです。だから撮影されるのは「【新次】の顔だけでいい」と、僕が映らなくても成立すると僕は思っていました。監督の意図がそこにあれば、僕はそれでいいと。

撮影ではちゃんとその場に居て対峙するんだけど台詞や表情もフラットにする、それだけでいいと。でも2人ともに【相津】は言葉では肯定しかしません。そこにもう一方の感情のノイズを入れないと甲斐監督の意図が薄れるのでは?と思い、悪魔側からのイメージ、不協和音と言いましょうか「ボールペンをカチカチとするのはどうでしょう?」と相談しました。そんなふうに思っていたので現場でも監督に「僕 (のこと)は撮らなくても‥‥」と冗談混じりに言っていたと思います(笑)。それが甲斐監督の映画にとって大事なことで、僕の演じた【相津】を通しての問いかけシーンであるとも思っていたんです。だから完成した映画を観て「あれ?僕、結構映っている」と思ってしまって(笑)。

井浦:しっかり映っています(笑)。

永瀬:まあ、まったく映らないのも意図的になっちゃいますしね。丁度いい塩梅にして頂いたと思います。でも本当に透明でいたかったです。白衣も着ていますし、白は純粋無垢、白装束という2つの価値を持った色ですから、丁度彼らが悩んでいること、その具現化を監督は表現したいのではないかと、それが【相津】というキャラクターなのではないかと思いました。だから「気を遣われなくても、僕は大丈夫ですよ」と伝えていました(笑)。

――お話を聞いていると1回ではなく、2回、3回と観ることで更に面白味が増すような気がしています。井浦さんはアイディアなど出されたりしたのですか。

井浦:いいえ、出してないです。甲斐監督の現場の楽しみって、もちろん監督とのセッションという楽しみもありますが、甲斐監督の世界観にどこまで浸るかだと思っています。自分のアイディアではなく、甲斐監督の作品の中に染まっていく中で感じたことなどを伝えあったりして、「それならこういうやり方でトライしてみよう」というのはあっても、自分のアイディアを甲斐監督に示していくというのは、あまり‥‥、そういうのではないんです。凄く純粋、先ほど永瀬さんも【相津】に対して純粋という言葉を使っていらっしゃいましたが、それぞれの役が持っているもの、【相津】もそうだったんだと思った時に【新次】のキーワードも純粋さだったんです。そうなると希子さん演じる【まほろ】もその他のキャラクターも皆、何らかの純度を背負ってこの作品に居るんだと思いました。そう思うと余計に甲斐ワールドを汚したくないんです。

――確かに監督の思想を押し付けるのではなく、観客への投げかけというアプローチの作品。それが純度として役で表現されているとお話を聞いていて思いました。お二人は長い間この業界で仕事をされていますから、海外の監督さんも含め、様々な監督とお仕事をご一緒されています。ご自身が俳優として立つ上で大切にしていることを教えて下さい。

永瀬:僕は【信じること】です。もちろん監督を信じていますし、自分の役も信じています。そして映画を信じることを一番にしています。

映画は物語です。ドキュメンタリーでないかぎり、架空というか嘘を皆で一生懸命作り上げていきます。そこにもう1つ嘘をのっけてしまうとお客様(観客)に絶対にバレると思うんです。だから信じて、信じて、精一杯生きる、ということをしっかり行う。僕は俳優の訓練を受けたことがないんです。劇団に入ったり、お芝居のワークショップに行ったりしたこともありません。相米慎二監督に言われたこと、そうは言っても、監督は具体的には何も言ってくれませんでしたが(笑)、現場で体験したことで言うならば、人を見るということ。あと、相米監督に役について聞いても「そんなこと俺が知るか。お前が演じているのだからお前が一番知っているはずだ」と言われた言葉があるから、監督、カメラマンさんはじめスタッフの皆さん、共演者の方、ロケ地も含め、全てを信じること、どこの国に行ってもそれは変わらないです。

――自分の中で理解が出来ない役を演じる時は、どうされるのですか。

永瀬:ひたすら役を信じます。監督のジャッジを信じます。

――難しく、大変ですよね。

永瀬:演じる役には自分とはかけ離れた役もありますからね。

――永瀬さんは【信じる】ですね。井浦さんは何を大切にされていますか。

井浦:今、永瀬さんのお話を聞いていて、言い回し、表現の仕方は違うのですが、永瀬さんに共感をしています。僕は恩師である若松孝二監督から頂いた言葉を指針にしています。でもいまだにちゃんとわかっていないので追い続けています。僕は【心】なんです。「自分の心のままにやりなさい」だったり、色んなふうに例えられるのですが、【信じる】という言葉と【心】ってちょっと親戚のようだとも思いました。でも、その言葉を指針にしていても出来ない時もあったりして“まだまだだ”と思ったりもします。きっとそれの追求なのだと思います。お芝居にしても、現場やスタッフさん、それこそ人との関わり方にしても、とにかく【心】というものを大切に、全てと向き合っていくことを大事にしたいと思っています。

甲斐さやか監督の長編映画デビュー作『赤い雪 Red Snow』で主演を務めた永瀬正敏さんと、その時、助演を務めた井浦新さんが、今作では、井浦さんが主演、永瀬さんが助演という立ち位置で撮影に挑んだ映画『徒花-ADABANA-』。その時からその作風を絶賛し、次回作を切望した2人がまた甲斐さやか監督の世界で、前作とは違う色合いのキャラクターで物語を紡いでいったのがとても興味深かったのですが、インタビューを聞くと、甲斐監督の脳内の世界をリスペクトし、自分達なりに読み取って、その感覚を信じて物語の世界に立っているのか、と理解しました。物作りを皆でする上で一番大事なことなんですよね。

取材・文 / 伊藤さとり
撮影 / 岸豊

作品情報

映画『徒花-ADABANA–』

国家により、ある“最新技術”を用いて延命治療が推進された、そう遠くない現代。一定の階級より上の人間たちが病に侵された時、全く同じ見た目の自分である“それ”が提供されたら?そして、病の身代わりになってくれたら?甲斐さやか監督が現代に解き放つ、命の問題作。

脚本・監督:甲斐さやか

出演:井浦新、水原希子、三浦透子、甲田益也子、板谷由夏、原日出子、斉藤由貴、永瀬正敏

配給:NAKACHIKAPICTURES

©2024「徒花-ADABANA-」製作委員会/ DISSIDENZ

公開中

公式サイト adabana-movie