堂本剛主演映画『まる』が10月18日(金)に公開される。 KinKi Kidsとして国民的スターの顔を持つ彼が、27年ぶりに映画単独主演を果たす。
自転車事故で利き手を怪我し、現代アーティストの助手をクビになった主人公の沢田は、部屋の床にいた1匹の蟻に導かれるように「〇(まる)」を描く。それがSNSで拡散され、世界的アーティストの仲間入りをする。有名になったとたんに態度が変わり、すり寄ってきたりする人、かんたんに流行に飛びつく人々など、「〇」によって、沢田の人生は思いもよらない方向に転がり始める。
脚本・監督を務めるのは、数々のオリジナル脚本で話題作を生み出し、国内外で高い評価を得る荻上直子。本作の主人公・沢田は、荻上による初の完全あて書きである。
独特の世界観で奇妙なおかしみのある人間たちを描いてきた荻上作品の中で、俳優として、また人間としての堂本剛が醸し出す雰囲気が、違和感なく自然に溶け込んでいる。本作は、彼の魅力を再確認するとともに、人生に悩む同世代に向けた人間讃歌でもある。
27年ぶりの主演映画 俳優・堂本剛
「自分は何者なのか?」と問われて、即答できる人が一体何人いるだろうか? 映画『まる』は、ひょんなことをきっかけに日常が「○」に浸食され始め、急激な環境の変化に戸惑い、自分の行く道を見失っていく男の奇想天外な物語である。
本作の主人公・沢田を演じたのは、1997年に公開された『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』以来、27年ぶりの映画単独主演となる堂本剛。本作への出演を決めた最大の理由は、監督・脚本を務めた荻上直子からの熱心なオファーだった。
芸能界の第一線で活躍してきた堂本にも、アイドルとして世に知られている自分と、本当の自分とのギャップに苦しんだ時期や「自分」を見失いかけた経験があることを知った荻上があて書きした本作。そんな荻上監督自身も、30代で映画監督デビューしたものの、なかなかうまくいかずに悩んでいた時期があったそう。そんなときにたまたまテレビで堂本を見かけ「自分よりももっとツラそうな人がいる」と興味を持ったと話している。
また、1979年生まれである堂本の世代は、いわゆる氷河期世代。希望の仕事に就けず、自分の意思に反する待遇で長期間働いてきた分、他の世代より我慢強いとも言われている。美大卒だがアートで身を立てることができず、独立する気配もなければ、そんな気力さえも失い、言われたことを淡々とこなす沢田とどこか通ずるところがある。
作中、同じ職場でアシスタントとして働く矢島(吉岡里帆)から「沢田さん見ているとなんかつらいです。安い時給でこき使われて、自分のアイディアもパクられて(中略)私はそういうの、死にたくなります」と言われた沢田が「自分の好きな事だけやって生きている人ってそんなにいないよ」と返すのだが、このセリフも氷河期世代の特性をとらえているように感じる。
また、堂本は今作で、.ENDRECHERI.と堂本剛のWネームで、初の映画音楽にもチャレンジしている。主題歌である「街(movie ver.)」は、元々2002年にリリースされた楽曲で、筆者も思春期にこの楽曲を聞いて救われた、思い入れのある一曲である。
「人のことが好きじゃなかった時期に書いた曲で、傷つけられたり傷ついたりもするけれど、自分の中にある痛みを忘れたくないなという想いが宿っている」と堂本自身が話すように、苦しさや葛藤を抱えながらも「それでも戦っていくんだ」という思いが痛いほど伝わってくる。そういった思いや経験を経て、様々なものと戦ってきた堂本が持つ達観性と、円熟した人間味がある今だからこそ「沢田」という人物を表現できたのだと思う。
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〇について 円、そして縁
沢田が描いた「〇」は「円相」と呼ばれ、禅における書画のひとつで、図形の円を一筆で書き上げたもの。作中、沢田は何度も「〇」をフリーハンドで描くのだが、その形や筆の運びに注目してみてほしい。最初の「〇」は、ただ無心に蟻を囲むことだけを考え、その結果パーフェクトな「〇」を描き出した。それが後に称賛され、巨額な金額を提示してくるうさんくさいアートディーラー・土屋(早乙女太一)から「1枚100万円で円相を描いてほしい」と依頼をされる。沢田は「100万」という額に戸惑いながらも何枚か描いてみるのだが、形が歪だったり、どこか投げやりに描いていたりと、土屋や野心的なギャラリーのオーナー・若草(小林聡美)が納得するものが描けずにいた。
さらっと描いた「○」が社会現象にまで発展し、自分の知らないところで一人歩きすることに苦しむ沢田だが、映画の後半、屋上でキャンバスに向かい、黄色や青色を使って描く「〇」の筆には迷いがなかった。
芸術やエンターテインメントは、特に評価の基準がわかりにくいものだと思う。同じ作品を見て「これは素晴らしい!」と絶賛する人もいれば、「よく分からない」と思う人もいて、「みんなが良いというから、これは素晴らしいものなんだ」と思う人もいる。「円相」は、悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされ、その解釈は見る人に任される。それはまさにこの作品とも合致する点であり、芸術作品への評価や見方に対するひとつの考え方でもあると思う。
円相をはじめ、作中には仏教に関連した言葉や思想も取り入れられている。作中、沢田が「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」と『平家物語』の冒頭をつぶやくのだが、「諸行無常」、「盛者必衰」とは仏教の教えで、どんなに栄華を極めたとしても必ず終わりがくる、この世の無常を説いた言葉だ。奈良県の出身で、2010年から京都の平安神宮で奉納演奏を行うなど、何かと仏教に縁がある堂本と作品が持つ世界観が、違和感なく溶け込んでいる。
ミャンマー出身のコンビニ店員・モー(森崎ウィン)の話し方をからかう客たちが去った後、「あいつらがバカでごめん」という沢田に対して、モーが「人間、まるくないと」と笑顔で答えるやりとりがある。
モーの口癖である「福徳円満」とは、精神的・物質的ともに恵まれている様であり、「円満具足」は十分に満ち足りて、少しも不足のないこと。つまり「私は今のままで十分恵まれています」といった意味合いがあると捉えると、仏教の国であるミャンマー出身のモーは、この教えを自分に言い聞かせるように、なだめるように言っている気がした。外国人差別や貧困格差など、社会問題も随所に散りばめられていて、荻上監督が現代の社会に向けた刃がそこかしこに盛り込まれている。