10月17日、俳優の西田敏行さんの逝去が報じられた。同日正午すぎ、東京・世田谷区の自宅のベッドで冷たくなっているところを関係者が見つけ、通報。18日、死因は虚血性心疾患だと所属事務所から発表された。享年76歳。多くの人から愛された西田さんを取材した経験のある、芸能ライターの田辺ユウキが語る。
大河ドラマから『釣りバカ日誌』まで奥行きのある演技力
10月17日、俳優の西田敏行さんの逝去が報じられた。
西田さんは10月8日、映画『劇場版 ドクターX』(12月6日公開)の完成報告会見に出席するなどしていた。
名優の訃報を受け、芸能界からも悼む声が相次いでいる。
西田さんが出演した映画『アウトレイジ ビヨンド』(2012年)、『アウトレイジ 最終章』の監督・北野武は自身の公式サイトで、
「西田さんの体調がよくないことは知っていたので、ずっと心配していたけど、悲しいことになってしまった。がっくりしています。本当にいい役者だった」
とコメント。
『劇場版ドクターX』で共演した女優の米倉涼子は、西田さんと食事をした際の写真をInstagramのストーリーズに投稿するため、掲載許可の連絡をしたばかりだったという。
西田さんはバラエティに富んだ俳優だった。20代前半に名門・青年座へ入所。
そこで鍛え上げた演技力で、鑑賞者を時には泣かせ、時には笑わせた。
NHK大河ドラマで主演を飾ったのは3度。1990年放送『翔ぶが如く』で西郷隆盛役、1995年放送『八代将軍吉宗』で徳川吉宗役、2000年放送『葵 徳川三代』で徳川秀忠役を務めた。
いずれの作品でも、日本の歴史に残る人物たちが放つ独特の重厚感や貫禄を見事に表現していった。
一方、代表作となった映画『釣りバカ日誌』シリーズでは、釣りをこよなく愛するハマちゃん(浜崎伝助)を演じた。
1作目は1988年公開。日本はちょうどバブル期で、1989年には栄養ドリンク「リゲイン」のCMでサラリーマン役の時任三郎が口にする「24時間戦えますか?」が流行語になった。
仕事のときはバリバリと働き、休日は自分をしっかり癒す。企業戦士たちがオンとオフを使い分けながら、日本経済を支える様が格好良く映った。
そんな時代にあって、隙があればスーツを脱いで釣りに出かけるハマちゃんのどうしようもない姿は、異質かつ痛快だった。
さらに同作での西田さんの親しみやすいフォルムは、「リゲイン」のCMでスーツをカチッと着こなしてギラついていた時任三郎とはまさに対極にあった。
西田さんの“抜け感”が、ハマちゃんのキャラクターの軽快さを生んだと言って良いだろう。
(広告の後にも続きます)
歌手、ナレーション、司会と幅広い活躍
西田さんの活躍は俳優業だけに留まらない。歌声がよかったことでも知られる。
1981年にリリースしたシングル曲「もしもピアノが弾けたなら」は、好きな人に気持ちが伝えられない男性の内気な性格と不器用さを表した内容。
西田さんの優しい歌声が、曲中の主人公の強引ではない人柄にぴったり合っていた。
また先日亡くなった大山のぶ代さんが声優を務めていた「ドラえもん」の映画主題歌も歌っている。映画『ドラえもん のび太の日本誕生』で「時の旅人」という楽曲を歌唱しており、ファンの中ではドラえもん映画の主題歌でも指折りの名曲とされている。
さらにその強張りのない声の質感は、新しい人生を送る人らに密着したドキュメンタリー番組『人生の楽園』(テレビ朝日系)のナレーション業でも生かされた。何かを目指している人たち、がんばる人たちの背中を押すような温かな声色だった。
そういった西田さんの人柄が存分にうかがえたのが、関西ローカルのバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)である。
視聴者から届く疑問や解決してほしいことを、探偵たち(出演タレント)が調査する同番組。西田さんは2001年1月から2019年11月まで、ロケのVTRを見守る2代目局長を担当した。
初代局長の上岡龍太郎さん(2023年逝去)は博識と舌鋒の鋭さが持ち味で、VTRの内容によっては厳しい意見が飛び出すこともあり、番組に緊張を走らせることもあった。
そんな上岡さんの後任ということで、西田さん自身はプレッシャーを感じるところもあっただろう。
ただ、西田さんはとにかく涙もろかった。それが上岡局長とは違った魅力を番組にもたらしたのだ。
VTRが流れる前の、調査依頼のハガキを読み上げている段階で、すでにウルっときていることもあった。
感動的なVTRのあとには、西田さんがハンカチで涙を拭う光景がお決まりになって、視聴者は西田さんが泣くか、泣かないか、予想をしながら番組を観るのが一つの楽しみとなった。
感受性が豊かな西田さんだったが、同番組降板に関してはシビアな気持ちが理由として働いた。
上岡局長時代は“大人の乾いた笑い”が番組の特徴としてあり、西田さんがそれをおもしろく感じていたという。
ところが自分が局長になってからは“濡れた感性”の方が多くなったと指摘された。
「軌道修正していかないとこの番組のコンセプトが薄れるという危惧があったので、ぼちぼち退くべきだなと」と卒業の意向を固めた。
そのコメントを聞いたとき、筆者は、柔らかな視線の奥にある的確さに鳥肌が立ったのを覚えている。