Credit: ja.wikipedia
皆さんは過去に、お葬式や人に怒られている最中など、笑ってはいけない場面で笑いがこみ上げてきた経験はないでしょうか?
お笑いのコントでよく見かけるシチュエーションですが、実際私たちはその様な場合にきちんと我慢することができます。
これは「シリアスな場面で笑うのは社会的におかしい」ことを私たちが理解しており、「自分の感情について考え、判断を下す能力」を持っているためです。
米ノースイースタン大学(Northeastern University)は、この場にそぐわない不適切な態度を制御しているとみられる脳領域を特定したと発表しています。
では、その脳領域が損傷するとどうなるのでしょうか?
研究チームは、その唯一の症例かもしれないある人物の数奇な生涯に触れています。
研究の詳細は2022年3月26日付で学術誌『Social Cognitive and Affective Neuroscience』に掲載されました。
目次
鉄の棒が頭を貫通して性格が激変してしまった男性前頭前野の損傷で「感情の判断」ができなくなる
鉄の棒が頭を貫通して性格が激変してしまった男性
1848年9月、アメリカの鉄道建築技術者の職長だったフィニアス・ゲージ(Phineas Gage、1823〜1860)は、路盤を建設するための発破作業をしていました。
岩に深く穴を掘り、火薬・ヒューズ・砂を入れて、鉄の棒で突き固めるという作業です。
ところが砂を入れてなかったためか、突き棒が岩にぶつかって火花を発し、火薬が爆発しました。
その瞬間、長さ43インチ(約109センチ)の鉄の棒がゲージの左頬を貫通し、脳を通って頭蓋骨の上部から突き抜けていったのです。
鉄の棒が貫通した模式図と再現CGI(前頭前野の大部分を損傷したという) / 鉄の棒が貫通した模式図と再現CGI(前頭前野の大部分を損傷したという)/ Credit: ja.wikipedia
ゲージの頭を突き抜けた鉄の棒は25メートルほど先まで飛んで落ちたといいます。
まさに大惨事。
ところが驚くべきことに、ゲージは数分もせぬ内に話し始め、ほとんど人の手も借りずに、自宅までの1.2キロを馬車に乗って帰っていったというのです。
その後、医師による処置を受けたゲージは左目の視力を失ったものの、知力や認知機能、運動能力はそのまま維持しました。
事故後のゲージの写真(手に持っているのが頭を貫通した鉄の棒) / 事故後のゲージの写真(手に持っているのが頭を貫通した鉄の棒 / Credit: ja.wikipedia
ところが、家族や友人はゲージの大きな変化に気づきました。
彼の性格、とくに感情表現がガラリと変わってしまったというのです。
友人たちは「もはや以前のゲージではなかった」と話し、主治医は「悪態をつくことが多くなり、仲間に対する敬意もほとんどなくなった」と書き記しています。
結局、ゲージは現場監督の職を失い、事故から12年後の1860年、36歳の若さで亡くなっています。
なぜゲージは性格が変わってしまったか、その答えが今回の研究に隠されているかもしれません。
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前頭前野の損傷で「感情の判断」ができなくなる
「自分の感情について考え、判断を下す」というのは、少々わかりにくい表現かもしれません。
しかし本研究主任のアジャイ・サトプート(Ajay Satpute)氏によれば、「私たちは常に感情に対して、何らかの評価や判断を下している」といいます。
例えば、お葬式に出席してなぜか「笑い」がこみ上げてくると、その感情はその場にそぐわない「悪いもの」だと判断します。
あるいは、無礼な人に対して「怒り」を感じるとき、「ここで怒ってはいけない」と自分に言い聞かせることで、暴言を吐くのを抑えられるでしょう。
このように感情に対する評価や判断は、社会への協調的な参入と、自分の間違った行動の抑制にとって有効なのです。
もしこれができずに、お葬式でゲラゲラ笑ってしまうと、すぐさま爪弾きにされるでしょう。
感情の評価は、社会への参入に必須 / Credit: canva
そしてサトプート氏のチームは今回の研究で、この感情の評価・判断を担っている脳領域を特定したと主張します。
25名の被験者を募り、さまざまな感情について判断する際の脳活動をfMRI(機能的核磁気共鳴法)で測定。
その結果、被験者が自らの感情を評価・判断している際に、内側前頭前野(mPFC)、腹内側前頭前野(vmPFC)、楔前部(けつぜんぶ、大脳の内側面にある脳回のひとつ)が最も活発に活動していることが判明しました。
これは前頭前野が判断・評価・倫理的思考にとって重要であることを示す、これまでの研究を支持するものです。
ヒト前頭前野の外側・内側・眼窩面 / Credit: 脳科学辞典
さらに前頭前野は先のゲージが事故で損傷した脳領域と一致します。
つまりゲージは、自身の感情をうまく評価・判断する能力を失ったことで、社会的シチュエーションと感情表現がちぐはぐになり、性格がガラリと変わってしまったのかもしれません。
オレンジ色の所が楔前部/ Credit: ja.wikipedia
研究チームいわく、感情評価に注目した脳研究は、おそらく今回が初めてとのこと。
まだ初歩的な研究に過ぎませんが、今後の進展次第では、この知見が感情コントロールの訓練に役立つとも期待されています。
例えば、どうしても社会的シチュエーションに反した感情表現をしてしまう人々にとって、大きな助けとなるかもしれません。
※この記事は2022年6月公開のものを再編集しています。
参考文献
HOW DO YOU KNOW NOT TO LAUGH AT A FUNERAL? THIS REGION OF THE BRAIN IS KEY.
https://news.northeastern.edu/2022/05/20/funeral-laughter-brain-region/
元論文
Sinful pleasures and pious woes? Using fMRI to examine evaluative and hedonic emotion knowledge
https://doi.org/10.1093/scan/nsac024
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。
他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。
趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。