俳優業以外での収入を得るために『浪子回頭日記』という兼業俳優の赤裸々な日記を連載しているが、まったくゼニにならず、どうしたものかと焦っているマツーラこと松浦祐也が、本気で(?)最上川に眠っていると信じているお宝探しに挑戦中! 一歩ずつお宝に近づいているはずのマツーラ調査隊は、待ちに待った第二次最上川捜索を決行!
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松浦祐也の埋蔵金への道。第1回「やっぱり、 あるとしか言えねぇ」
2023年12月20日
松浦祐也の埋蔵金への道。第2回「何を言おうとこっちにゃ証拠があるんだわ!」
2023年12月31日
松浦祐也の埋蔵金への道。第3回「ヤられる前にヤルしかねえ」
2024年02月17日
松浦祐也の埋蔵金への道。第4回「アタシの知的好奇心をお満足させるだよ!」
2024年03月03日
松浦祐也の埋蔵金への道。第5回「あまりに寒いとニンゲンは「ギギギッ」ってなるんだゾ!」
2024年05月10日
松浦祐也の埋蔵金への道。第6回「冬の川にゃ入るもんじゃねえし、先人の言う事は聞くもんだ」
2024年06月21日
松浦祐也の埋蔵金への道。第7回「小判はお地蔵様の埋蔵金という噂もあるんだゼ!」
2024年07月03日
松浦祐也の埋蔵金への道。第8回「夏の最上川小判捜索の再遠征のために、初めてファッション誌っぽいことをしちゃうんだぜ!」
2024年10月10日
「よかですか! ションベン引っ被っても捜索はやるとですよ!」
文・松浦祐也|台風のたびに裏の柳瀬川が氾濫しないか心配で、夜通し川の様子を見に行ってしまう。カミさんからは「災害ジジイ」と呼ばれている。いつか川に流されてサヨナラするかもと思いつつやめられない。増水して濁流の川って魅力がある
1961年に山形県白鷹町の最上川から、天保小判23枚・文政真文二分金9枚・文政南鐐二朱銀358枚が発見された。アタシはそのおこぼれを求めて、第一次最上川捜索を真冬に行い、超絶極寒の最上川に打ちのめされ、小判を発見できず帰ってきた。それから半年間、リベンジの機会を伺いながら歯を食いしばって生きた。そして今夏、待ちに待った第二次最上川捜索を決行したのだ!
しかし、夏の捜索は難航し2度の延期を経てようやく行われたのだった。1度目の遠征予定日はまさに最上川の支流が氾濫した集中豪雨と重なり、2度目は東北に3つの台風が続けて上陸したまさにあの時期だった。隊員から「これは最上川に行くなという天意ですかね?」という意見も出たが、「大水で土砂が巻き上がって、小判が見付けやすくなったかも」という病的に前向きな意見も出て、アタシは嬉しかった。
栄えある第二次最上川捜索隊に選抜されしは、隊長のアタシ(願掛けで眉毛を剃り落とす)。本誌編集長で金庫番・ウエダ隊員(遠征のスポンサーが全く集まらず予算のヤリクリに苦労中)。映像記録兼ドレイのゴーイチ隊員(嶺豪一。映画監督・俳優)。上記3名は第一次最上川捜索隊の生き残りである。そして新たにダイゴ隊員(河野大吾さん。大工)はシュノーケリングが得意でエッチなビデオはチェコのガーデンパーティーモノがマイブームだ。ウラヤマ隊員(浦山佳樹。俳優)は今回の最年少。見かけ通りの激しい特攻精神の持ち主で水泳が得意。ギョー隊員(宮本行。俳優)は無謀なアタッカーが多い捜索隊のなかで、常に全体を見回して守備を意識する文句を言わない唯一の隊員。以上の精鋭6名で捜索隊は編成されたのだ。
某日、早朝6時に集合し、道具を満載した古いエルグランドにオッサン6人が詰められ出発。昼には白鷹町に到着したいので東北道を爆走する予定だったが、栃木の矢板で事故渋滞に巻き込まれる。さらに、ここで問題発生! 隊長であるアタシの膀胱がパンッパンだったのだ。渋滞に入った瞬間からヤバイ状態で、笑うと先っぽからチョロってしまう。
隊長としての威厳を保つためにしばらくは黙っていたが、いよいよ我慢できなくなって一同に告白する。協議の結果「何かしらに排尿して運転席側の植え込みにまく」方法が採択された。渡されたペットボトルに排尿を試みるが、愚息の先っぽと飲み口のサイズが合わず、ペットボトル作戦は寸前で中止。かわりにコンビニコーヒーの紙コップが受容器に採用される。愚息も「これなら溢さないっす」と自信をみせたが、ふと不安がよぎる。
「果たして紙コップ1杯で収まるだろうか?」なんて考えているうちに、我が意に反して勢いよく排出されてしまった。紙コップに泡を立てながらオチッチがみるみる満たされていく。ああ、コップ1杯じゃ全然収まらねえ! 必死でオチッチを止めてゴーイチ隊員に紙コップ(満タン)を渡し、植え込みに撒いてもらう。「マツーラさん、もっと少なくしてください! ションベンが溢れます!」とゴーイチ隊員が訴える。
そんなこと言われても、途中でオチッチ止めるのって大変なんだぞ。2杯目もすぐ満タンになり、暖かくなった紙コップをゴーイチ隊員に渡す。3杯目でも終わらない。3杯目を渡す時に紙コップがだいぶ柔らかくなっていることに気が付く。ここで悲劇が起きた。オチッチを植え込みに撒こうとしたゴーイチ隊員が紙コップを落として、一番搾りを全身に浴びてしまったのだ。紙コップがふやけて柔らかくなっていたことが原因だろう。
悲鳴を上げた後、何かを諦めたように静かになったゴーイチ隊員には、皆が同情した。ま、何事においても多少の犠牲はつきものだ。しばらくしてゴーイチ隊員が「や、意外と臭くないっす」と呟いたので、皆で大げさに励ます。ただ、隊員全員がションベンまみれのゴーイチには直接手を触れないように注意していたことを、アタシは見逃さなかった。
アタシは紙コップ4杯分の排尿をせり。この一番搾り事件でゴーイチ以外の隊員の結束が存分に固まったので、結果オーライだ。
我が捜索隊は、午後1時過ぎ山形県白鷹町に到着。中華屋「喜多楼」で昼食をとり、2時過ぎに宿泊所に荷物を降ろして、目的地である荒砥鉄橋の上流300メートルの最上川に向かい、鮎貝側の岸から捜索地へ肉迫する。堤防まではクルマで入れたが、目標の川岸までは背丈以上に伸びた藪を漕ぎながらの徒歩移動。
地図上では川岸まで200メートルくらいの距離だったがこれが難儀で、アタシとウラヤマ隊員が先行し藪を漕いで道を作りながら、ルートを探す。なんとか川岸の石河原まで出て、一同でワッセワッセと荷物を運び込む。荷運びも全員が率先してやってくれて助かった。
続いて鮎貝側の石河原にベース基地を作る。説明書のないテント設営をウラヤマ隊員とギョー隊員に任せて、ゴーイチ隊員はビデオ撮影、ウエダ隊員は写真撮影をしながら荷運び。アタシとダイゴ隊員は偵察がてら川に侵入。とうとう来たぞ最上川!
現地に来るまで心配だった最上川の水深だが、岸の近くはヒザ高。川の中央は流れが強くて入れなかったが、おそらく2メートルくらい。もっと水が低いと嬉しいのだが、仕方ねえ。水温も懸念されていたが思っていたより温くて、これならウェットを着なくてもいい。問題は川の流れの強さだな。
やはり急流として名を馳せた荒砥周辺は流れがバカ早い。腰高の水深でも流れが強くて立っていられない場所があるのだ。この急流と水量では全ての場所の捜索は厳しそうだ。そして何より想定外だったのが、鮎貝側の岸から川底が全部ジャリと川石だったこと! これは用意した捜索方法を根底から覆す、ビックリ事件だった。
今回の捜索方法として、冬季遠征で知り合った小判発見者のT親方の証言「川底はアマ壁(砂泥で出来た岩盤)があって、大石の下やアマ壁のくぼみにジャリが溜まっている。そのジャリの中から小判が出た」との話を参考に『アマ壁のジャリ総ざらいバケツリレー大作戦』(略称・バ作戦。ページ下に図解あり)を立案。少ない予算から『バ作戦』用の道具と資材を準備していた。
『バ作戦』とは、最上川にダイゴ隊員とアタシが侵入、アマ壁のくぼみにあるジャリをさらってバケツに入れ、岸の上から4名の隊員がロープを握りエッサホイサと人力でジャリ入りバケツ(クソ重い)を引っ張り、岸上でジャリを揚げてお宝を探すという、全て人力の純粋肉体労働による完璧な捜索法だ。しかしこれだけジャリと川石が堆積してしまっていたら『バ作戦』も全く意味をなさない。だって川底がぜーんぶジャリなんですもの!
川のジャリ全てをさらうなんて不可能だ。T親方の小判発見時から60年が経ち、川の様相が変わってしまっていたのだ。アタシはその事実に気付いてゾッとした。『バ作戦』が通用しなくなるとは考えてなかったんだもんね。呆然としているとダイゴ隊員が「タイチョー、アマ壁ってどれっすか?」と、恐ろしい質問をしてくる。アタシは平静を装って「ジャリの堆積でアマ壁は埋まっているのだ。ジャリを掘って探そう」と提案し、ダイゴ隊員と共にジャリを掘る。
一番深い川の中央部を掘ろうとしたが、全身潜らなければジャリが掘れない。無理して潜ると、一瞬で水流に耐えられず流されてしまう。仕方なく岸近くの浅い場所でジャリを掘るが、20センチ掘り下げると周りのジャリが崩れてきて一向に掘り進めない。岩盤らしき底の雰囲気すらない。どこを掘っても同じようにジャリは崩れアマ壁は存在せず、途方に暮れる。ダイゴ隊員もお手上げ状態。あんだかや!
岸に上がって、一同集めて緊急作戦会議。「川は想像以上に流れが強く、中央部の捜索は厳しい。またアマ壁がジャリの堆積で埋まってしまっていて、存在すら確認できない。ジャリを掘り下げたいが、それも難しい」と、正直に現状を報告した。明日から決行予定だった『バ作戦』は諦めざるを得ず、総員川に入って水中捜索の可能性がある旨を伝える。
ダイゴ隊員から「そもそもアマ壁の想像がつかない」との意見が出たので、アマ壁が露出している『つぶて石』(写真下)周辺を、明朝全員で見に行くことに決定。ゴーイチ隊員からは「今回の捜索範囲を決めませんか?」との意見が出た。冬季捜索時に録画した映像を元に、始点は上流の『元・地蔵跡』から下流に300メートルを捜索範囲に決定する。
『元・地蔵跡』のより詳細な場所の見当をつけるため、全員で対岸である荒砥側の堤防に移動。冬季は一面雪景色で、現在の草木が生い茂る風景とは全く違った。荒砥側の堤防上から映像を分析し『元・地蔵跡』の場所を突き止める。続けて『小判発見場所』も判明し、明日からの捜索範囲が具体的に決まる。
日が暮れてきたので初日の捜索活動を打ち切り、地元の優良スーパー「おーばん」で夕食の調達。金庫番のウエダ隊員が大奮発し、夕飯は豪華な焼肉となる。宿泊所に戻って肉をバクつきながら、明日の捜索を検討。ジャリを掘る『バ作戦』は中止、皆で一列横隊になり川下から上流へ向かって川底を捜索し、目標物の『アマ壁』や『大石』の存在、そして小判を探す『総員最上川に突入・各個奮戦小判を発見せよ大作戦』(略称・ソ作戦)を提案。
全員の賛同を得て『ソ作戦』が採用された。20時に全員で風呂に入り、お互いのポコチンを確認。絆を深める。21時就寝。2人部屋だったので、アタシはダイゴ隊員と相部屋。2人で明日からの捜索方法を詳細に話し合う。急流部へはウエイトを抱えて潜ってみる。捜索は安全面を考慮し、必ず1人は監視役に配置する。
予想外の全面的な作戦変更があり不安も大きいが、ここまできて臆すべきではない。隊長の任とは、たえず変化する状況に対して、即時適切な判断を下し目的を完遂することだ。隊員を信じて明日からの本捜索に全力を尽くすべし! この時点ではそう決心していたのだ。あんな事が起きるとは1ミリも知らずに。
次回へと続く。
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『アマ壁のジャリ総ざらいバケツリレー大作戦』の図(大吾さんの愛娘ヒナコちゃん作)
(出典/「2nd 2024年11月号 Vol.208」)