雑誌表紙を飾った元モデルが、千葉県に「日本一ゾウが多い動物園」をつくった理由。

歓喜をもたらしたゾウのテリー

哲夢さんが亡くなった翌年、小百合さん夫妻はアジアゾウの繁殖計画を立てました。当時、日本では1965年に宝塚動植物園で出産例があったものの、死産。「日本初」を目指すことで、悲しみから逃れようとしていたのかもしれません。

国内外から数頭のゾウを譲り受けたり、借り受けたりするうちにゾウが増えたこともあり、1996年、「市原ぞうの国」に改称。しかし、前述したようにゾウの繁殖は一筋縄ではいかず、思うような結果がでないまま時が過ぎました。

そして2000年、小百合さん夫妻は離婚。夫が動物プロダクションの事業を引き継ぎ、小百合さんのもとには市原ぞうの国が残りました。

その翌年、市原ぞうの国に歓喜をもたらすゾウがやってきます。小百合さんがインドから輸入した雄のテリーです。輸入の書類に目を通した小百合さんは、思わず「えっ」と声をあげたそう。テリーが生まれたのは、1992年11月13日。それは、哲夢さんが亡くなった3日後で、葬儀が営まれた日でした。

取材中、小百合さんに「不思議な縁ですね」と伝えると、大きくうなずきました。

「そうですよね。単なる偶然とは思えません」

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「予算表も計画書も作れない」園長が頼るもの

公益財団法人・東京動物園協会が運営するウェブサイト「東京ズーネット」には、「おとなのゾウは200~300キロもの草や木を食べ、水も1日に100リットル以上飲みます」と書かれています。

繁殖を経て、現在10頭のゾウを飼育する市原ぞうの国。1日に莫大な量のエサが消費されていることが分かるでしょう。さらに、一頭につき一人のゾウ使いをタイから迎えているため、10人分の人件費もかかります。さらにゾウを増やしていくことの負担について尋ねたところ、小百合さんはからりと笑いながら、「そんなに深く考えていないの」と言いました。

「あたし、予算表も計画書も作れないし、なにもできないんです。もう勘だけですね」

小百合さんの判断基準は、「お客さんが嬉しくて、動物も嬉しければ良い」。その発想で始めたエサやりは大切な収入源になり、ゾウの赤ちゃんが生まれた時にはその姿を一目見ようと、お客さんの長い行列ができました。

「私が経営をしていなければ、ここはもっと儲かりますよ」と冗談交じりに言いますが、動物とお客さんを第一に考える小百合さんの「勘」が、公営の大手動物園からも信頼される市原ぞうの国の今を形づくったのです。

こうしてたくさんのゾウと暮らしているうちに、小百合さんにとってゾウは特別な存在になりました。

「仕事に追われて疲れたり、悲しいことがあったりするとゾウのそばにいるんです。ゾウの鼻に掴まっていると、安心感があるんですよね。そうすると慰められて、疲れも吹き飛ぶ感じがします」