『八犬伝』(10月25日公開)

 この映画の原作となった山田風太郎の小説『八犬伝』は、滝沢馬琴の伝奇小説『南総里見八犬伝』をモチーフに、馬琴と絵師の葛飾北斎との交流を描いた“実の世界”と、馬琴が創作した「八犬伝」の“虚の世界”を交錯させながら二重構造で描くという興味深い趣向。いわば“伝記”と“伝奇”の融合だ。

 この“虚”と“実”を行ったり来たりするという趣向を映画として成立させるのは難しいのではないかと危惧したが、それは杞憂(きゆう)に終わった。

 里見家の呪いを解くため運命に引き寄せられた八犬士の活躍を、VFXを駆使して見せるアクション満載の“虚”パートと、物語を創作する馬琴(役所広司)と北斎(内野聖陽)の“クリエーター談義”を通して創作活動の神髄に迫る“実”パートを、曽利文彦監督が見事に並行させて描いているので、2本分の映画を見たような満足感を得ることができたのだ。ここでは活劇と哲学の融合が見られるし、役所と内野の掛け合いも楽しめる。

 中でも虚構で正義を描く馬琴と、虚構で現実の闇を見つめる『東海道四谷怪談』の鶴屋南北(立川談春)との、物語についての問答が印象に残る。この場面にはものづくりに携わる人間に共通する悩みや葛藤が投影されているからだ。(以下、一部ネタバレあり)

 最後は盲目となった馬琴の口述を、息子(磯村勇斗)の嫁で無学のお路(黒木華)が筆記する様子が描かれる。お路なくして「八犬伝」の完成はなかったのだ。

 原作者の山田風太郎は「これを馬琴の描く神変をしのぐ奇跡といわずして何といおう」と書き、「『八犬伝』の世界を、江戸草創期における『虚の江戸神話』とするならば、この怪異壮大な神話を生み出した盲目の老作家と女性アシスタントの超人的聖戦こそ、『実の江戸神話』ではあるまいか」とも書いている。

 ここで初めて“虚”と“実”が一つになり、実が虚をしのいだのだ。見事な大団円である。この映画では、その後にもう一つ心温まる奇跡が描かれている。NHKの人形劇「新八犬伝」(73~75)で「八犬伝」に親しんだ者としては感慨深いものがあった。

『リトル・ワンダーズ』(10月25日公開)

 「不死身のワニ団」を結成したアリス、ヘイゼル、ジョディの悪ガキ3人組。彼らは倉庫から最新ゲーム機を盗み、遊ぶ気満々だったが、テレビにロックがかかっており、パスワードが必要になった。

 風邪をひいて寝ているママからパスワードを教えてもらう交換条件としてブルーベリーパイを買ってくる約束をした3人だったが店は休みだった。仕方なく自分たちでパイを作ろうとしたものの、材料の卵を謎の男に横取りされてしまう。

 卵を奪い返そうと男を追いかけるうちに怪しげな森の一軒家にたどり着いた3人は、魔女が率いる謎の集団「魔法の剣一味」と遭遇する。魔女の娘も仲間に加わり、彼らは悪い大人たちに立ち向かうが…。

 パイの材料を手に入れるための冒険に出た悪ガキ3人組が、思わぬ戦いに巻き込まれていく姿を、16ミリフィルムで撮影したアドベンチャー映画。監督・脚本は本作が長編デビューとなるウェストン・ラズーリ。カンヌ国際映画祭をはじめ、各国の映画祭で好評を得ている。

 子どもたちを主人公にした現代の寓話(ぐうわ)的なジュブナイルものだが、16ミリフィルムで撮られたためか、画調は1970年代や80年代の映画を思わせるものがあり、ストーリー的にも『グーニーズ』(85)や『スタンド・バイ・ミー』(86)をほうふつとさせるものがあった。ワイオミングの夏の風景も美しい。

 子どもたちの目的は、ただ「ゲームがしたい」「卵が欲しい」「ママの病気を早く治したい」というシンプルでかわいらしいなものだが、ペイント銃やバイクといった小道具も含めて、天使と悪魔が共存したような彼らは、決して“いい子”ではないところが面白い。思わず自分の子どもの頃を思い出して懐かしい気分になった。

 長編デビュー作らしい新鮮さと芸術的な感性が融合したこの映画を見ると、ラズーリ監督の今後に期待が湧く。

(田中雄二)