ロンドンで体験したABBAのアバターライブ「ABBA Voyage」 Vol.97 [江口靖二のデジタルサイネージ時評]

アバターが前後方向に動けない

ABBAtarsの表示方式とその物理的配置の関係で、前後方向の移動が難しい。現状の構成だと、左右方向は自由だが、前後方向は表示する大きさを可変することで表現するくらいしかできない。これはあまりにも映像がリアルなために、大きさを変えるだけではスクリーンが固定されていることがすぐに分かってしまうのだ。左右方向であっても舞台袖まではスクリーンがないのでABBAtarsは来てくれないのだ。

これを解決するのはスクリーンとプロジェクターを可動させる必要があるのだが、これは相当難易度が高くなることは容易に想像できる。仮にやったとしても、光軸が重なってしまってうまく行かない可能性もある。

このことはだんだんと不自然な感じを受けるようになる。そのため演出はこの対応として、22曲のセットリストのうち何曲かはABBAtarsを登場させず、背景のビデオウォールに完パケのMVを表示して回避している。

これは致し方ないのだが、明らかに作り物を見せられている印象になってしまい、オーディエンスの盛り上がりも確実に落ちていた。現実的な解決策は、システムをリニアに移動させるのではなく、楽曲ごとに2、3セットを用意しておくというところだろう。もちろん制作予算次第ということになる。

なおABBA Voyageの総製作費は、建設費も含めて260億円とのことだ。これは専用の会場だから実現できることであり、それだからこそ会場建築費が加算される。それはコロッセオのセリーヌ・ディオンも、シルク・ド・ソレイユもまさにそういうことだ。

もう一つ本当に凄いのは、すべての演出があまりにも自然で、とにかく作り物感がまったくない点だ。技術を知らない人には何がすごいかわからないのではないだろうか。エンタメにおいては技術がすごいかどうかは関係ない話であって、体験として感動するとか心が揺さぶられるという部分だけが重要なのである。ものすごい技術の集大成である関わらず、それをひけらかすようなことが一切ない。

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ネタバレ注意な話

ネタバレになるが実際に起きたことを書いておく。私のすすめで体験をされた方がいる。その人とあとで話したときに「最後に現在の本人たちが登場する演出が洒落ていますね」と言われた。この方はエンタメのプロフェッショナルの方なのだが見事に騙されているのだ。最後に登場したのもABBAtarsなのである。それくらい完璧なエンターテインメントなのだ。

もう一人、別の方の話も参考になる。私が体験することを強くお勧めした、この領域で誰でも知っている技術の最先端で関わっておられる某社のVIPの方から送られてきたメールを一部抜粋する。

行ってまいりました。アドバイス通りに一番前のダンスホールで。いやいや、鳥肌立ちました。現在のデジタル技術と舞台演出を備えた最高の舞台ではないでしょうか。感激しました。勝手な感想を言いますと、今後のコンサート演出やカメラワークのフォーマットを提案されているような気がしました。3D空間で視点やオブジェクトを動かしているのでもちろん見え方は自由ですし、過去のアーティストを使って現代に蘇らせるという点でも従来方式よりも一段と精巧に再現されていたと思います。いやー刺激を受けた体験でした。

類似のものとして捉えられがちなラスベガスの巨大ドームSphereとABBA Voyageは全く異なる体験である。Sphereは巨大なドーム映像によって高臨場感の映像体験をするもので、かなり乱暴に言うとすごい映画館である。一方のABBA Voyageはひたすらすごい体験なのだ。Sphereの体験者が異口同音に言うのは、完パケは確かにすごいけれど2回「視聴」しようとは思わないと。同じSphereでU2のライブを「体験」した人はそういうことは言わない。

日本にも極めて先進的な事例がある。見え方は全く異なるが、先日NTTがIOWNのプロモーションでPerfumeとコラボレーションした「IMA IMA IMA」も体験型である。これらはリアルを超えたもので、リアルでできないことを実現することで、新たな感動と価値を生むことに初めて成功したと思う。近い将来、これらが一体化したエンタメが生まれるのは間違いないだろう。

ABBA VoyageはXRに関わる人はもちろん、すべての映像関係者はぜひとも体験していただきたいと思う。いまなら渡航方法さえ選べば(たとえばソウル発の中国エアライン)、ロンドンまで7万円ほどで行くことができることも書き添えておく。