『トラップ』父と娘で作り上げたシャマラン・ユニバース “フェーズ2”

『シックス・センス』『オールド』で知られる鬼才、M.ナイト・シャマラン監督による映画『トラップ』が10月25日に公開された。

映画ファンに数々の罠を仕掛け、予想だにしない衝撃を与えてきた彼の最新作の舞台は世界的アーティストのライブ会場。溺愛する娘と楽しむ優しい父親の正体は、なんとサイコキラーだった。

ライブを楽しむ父娘がいるアリーナ会場を取り囲む、異常な数の監視カメラと警官。そう3万人を収容するこの会場は、彼を捕まえるために仕組まれたトラップだった。逃げ場ゼロの中、ライブはエンディングに近づいていく‥‥。果たして物語の結末は? 予測不能のサスペンスの幕が開ける。

M.ナイト・シャマランの集大成とも言われる本作。彼の長女でありシンガーソングライターであるサレカ・シャマランが、アーティスト役として出演、そのオリジナル曲の制作/プロデュース/演奏も担っている。また今年6月に、次女のイシャナ・シャマランが監督として『ザ・ウォッチャーズ』で長編映画デビューを果たしたばかり。本作の息を呑むようなストーリー展開もさることながら、シャマラン家が映画界に仕掛けるファミリー・ビジネスに注目してみたい。

映画と音楽を融合させた『パープル・レイン』のようなプロジェクト

異常な速さで時間が進むビーチに取り残された人々の恐怖を描いた、M.ナイト・シャマラン監督のサバイバル・スリラー『オールド』(2021)。この映画が作られるきっかけとなったのは、父の日のプレゼントとして、3人の娘たちから原作のグラフィックノベル「Sandcastle」を渡されたことだった。

自らオリジナルの脚本を書くスタイルのシャマランにとって、原作付きの映画は珍しい。だがこの『オールド』は、これまでの作品以上にパーソナルな作品となった。“老い”というモチーフは、シャマランの父親が実際に認知症を患っていたことに起因しているし、“成長”というモチーフは、気づけば娘たちが大人になっていたことに繋がっている。


Photo by Photo Credit: Phobymo/Universal – © 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.

しかも第2班の監督を務めているのは娘のイシャナで、劇中の音楽を提供しているのはもう一人の娘サレカ。まるでフランシス・フォード・コッポラが、家族総出でマフィアのファミリー・ドラマ『ゴッドファーザー』シリーズを作ったように、シャマランもまた家族総出で『オールド』を作り上げたのである。

だがシャマランの最新作『トラップ』(2024)は、『オールド』以上にパーソナルな作品かもしれない。まず、映画の成り立ちが非常にユニーク。もともとシャマランは、映画と音楽を融合させたプロジェクトについて、娘のサレカと話し合っていたという。頭にあったのは、プリンスが主演映画とサウンドトラックをリリースして成功させた『パープル・レイン』(1984)だった。

サレカは、R&B/ソウル系のポップスを歌うシンガーソングライター。前述した『オールド』のほかにも、シャマランがプロデュースしたApple TV+のテレビドラマシリーズ「サーヴァント ターナー家の子守」(2019~2021)にも楽曲を提供し、2023年にはデビュー・アルバム「Seance」をリリースしている。そしてこの『トラップ』では、世界的アーティスト「レディ・レイブン」役で俳優デビューを果たした。

本作の舞台は、レディ・レイブンのライブ会場。コンサートのプラチナチケットを手に入れたクーパー(ジョシュ・ハートネット)とその娘ライリー(アリエル・ドノヒュー)が、彼女のステージを観客から見守るという構成になっている。サレカは劇中で演奏される楽曲の作曲・プロデュースを務め、レディ・レイブン名義でサウンドトラックもリリース。まさに現代の『パープル・レイン』を、シャマラン父娘は作り上げたのである。

「私たちの好きな映画は『パープル・レイン』ですし、ボリウッド文化では映画と音楽は同じくらいに重要なんです。私も両親もそういった文化とともに育ってきたんです」

サレカ・シャマランインタビュー (consequence.net)

とサレカは語る。M.ナイト・シャマランにとって『パープル・レイン』のようなアプローチの映画を撮ることは、ファミリー・アイデンティティーに繋がる行為。だからこそ本作は、彼にとって非常にパーソナルなものになっているのだ。

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指名手配犯目線で描かれる「フラッグシップ作戦」

シャマランといえば、映画の制作費を自己負担していることでも知られている。自腹を切ることでクリエイティヴの自由を手に入れ、作品を完璧にコントロール。この規模の作品を撮るフィルムメーカーにしてはかなり珍しく、バリバリのインディペンデント系なのである。ここまでパーソナルな作品を作るにあたっては、最も有効な方法だろう。

だがそこはシャマラン、単なるファミリー・ドラマには収束させない。「もしテイラー・スウィフトのコンサートで、『羊たちの沈黙』のようなことが起こったら?」という、ラディカルすぎる発想で『トラップ』は設計されている。常人には思いもよらないアイディアだ。

絵に描いたようなマイホーム・パパのクーパーは、実は“肉屋”と呼ばれる指名手配中の殺人鬼。彼がレディ・レイブンのライブ会場に現れるという情報を入手したFBIは、監視カメラをくまなく設置し、警察官を大勢待機させて逮捕を目論む。その計画は、出演者やライブ会場のスタッフにも共有されていた。いわばこのコンサートそのものが、クーパーを捕まえるための大掛かりな「トラップ」だったのである。

いくら映画とはいえ、設定としてあまりにも大袈裟すぎるのでは‥‥と思われるかもしれないが、これにはれっきとした参照元がある。1985年にワシントンD.C.で実施された「フラッグシップ作戦」だ。FBIとワシントン市警が連携して、指名手配犯たちにアメリカンフットボールの無料チケットを送り、コンベンション・センターに集まった101人もの犯人を一網打尽にしたという、伝説のオペレーションである。

『トラップ』が特異なのは、「フラッグシップ作戦」ばりの捜査網を敷いていかにFBIが殺人犯を捕まえるかではなく、クーパーがこの危機的状況をどのようにして脱出するかという、指名手配犯目線で描かれていること。『羊たちの沈黙』の例で言うならば、ジョディ・フォスターが演じていたFBI訓練生のクラリスではなく、ハンニバル・レクター博士の視点で作られているのだ。

どんなに感情移入しにくい悪役であっても、そのキャラクターを主体に描いてしまえば、知らず知らずのうちに観客は彼/彼女に同化してしまう。それは、偉大なるサー・アルフレッド・ヒッチコックが手がけた数々の名作で証明済み。M.ナイト・シャマランは古典的なサスペンスの法則を用いて、脱出系スリラーを構築したのである。