「ホームマウンテンを持たない強み」|バックカントリーガイド 照井大地-Daichi Terui-

北海道の山小屋で運命の出会い

ノルディックスキー発祥の地、北欧の文化を学ぶために東海大学国際文化学部(札幌キャンパス)へ進学する。日本最北の厳しく壮大な荒野が広がる北海道の自然への憧れもあった。
大学1年の春、小樽市春香山(906m)の中腹にある山小屋、銀嶺荘に泊まったとき、運命的な出会いが訪れた。

「そこで出会った女性に、将来は山岳ガイドになりたい旨を伝えると、彼女は国際山岳ガイド石坂博文さんのお客さんで、石坂さんを紹介する名目で、いきなり3人で赤岩のマルチピッチを登りにいくことになったんです」

国際山岳ガイドの石坂博文さんは、当時をこう振り返る。

「最初に面接したときのことは、いまでも覚えています。そのときはただ話を聞くだけのつもりでした。照井くんはまだ大学生で、山に関してはほとんど経験がなかったですが、クロスカントリースキーの選手で基礎体力があったのと、熱意が感じられるキラキラした眼の輝きに負けました」

師匠の石坂の後ろをついて幾度もヨーロッパへ足を運んだ。背後にマッターホルンを従え、ヴェレンクッペで休憩する石坂(左)と照井

春香山での出会いがきっかけとなり、石坂博文を師と仰ぎ、在学中にもかかわらず彼のもとでガイド見習いをはじめることになった。

「冬のある日、石坂さんと羊蹄山を滑りにいくことになり、テックビンディングのついたディナフィットの板とブーツを借りて、初めてバックカントリースキーをしました。全然滑れなくて、転がりながらやっとで下りてきた。実は、それまでアルペンスキーはほとんどやったことがなかったんです(笑)」

日本でガイドをやるなら山スキーを極めなければ! という師匠の助言から、石井スポーツ札幌店で働いていたバイト代を注ぎ込み、札幌国際スキー場のレッスンへ通うことになる。マンツーマンで教えてもらえる平日を狙って。

「クロカンはエッジがないスキーなので、最初は角付けに苦労しました。そんなわけで、僕のスキーは、大人になってからのたたき上げです。
上手くないからショートターンが多くなりがちなので、映像や雑誌などで見る大きいターンに憧れます」

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1歳足りない冬山ガイドの誕生

大学在学中の19歳で北海道アウトドア資格の山岳ガイドを取得する。若気の至りとも言えるそのときのエピソードがおもしろい。

「応募資格の年齢が、夏山は満18歳以上で、冬山は満20歳以上でした。19歳では冬山のガイド資格が取れない。いつまで経っても見習いのままでは困る。そこで、事務局へいって「1歳足りないけど、なんとかお願いします」って直談判したら、じゃあいいよと(笑)」

北海道のガイド資格を持っていたおかげで、移行試験という形でスムーズに、大学卒業と同時に日本山岳ガイド協会認定の登山ガイド資格を23歳で取得した。
その後、25歳でスキーガイドステージⅠ、27歳でスキーガイドステージⅡ、31歳で山岳ガイドステージⅠと、とんとん拍子に実績を重ねていった。
この間、日本から飛び出して、北欧アイスランドでヘリスキーのオペレーション・ガイドを経験したり、ヨーロッパアルプスのオートルートをスキーで縦走したりと、世界の山岳シーンにも触れ、持ち前の行動力でスキーの技術を磨いていった。

アイスランドでのヘリスキー。食料の買い出しからライディングまで、プロのガイド業はなんたるかを学んだ

山小屋に泊まりながら縦走するヨーロッパアルプスのオートルートにて