大逆風が伝えられる自民党…石破首相は「裏金・旧統一教会系議員」の当選を本気で望んでいるのか?

『わが恩師 石井紘基が見破った 官僚国家 日本の闇』(泉房穂著・集英社新書)の出版を記念して、2024年10月1日、新宿のロフトプラスワンで、トークイベント”泉房穂出版記念 恩師・石井紘基元衆議院議員を語り尽くす夜”が開催された。

元明石市長で衆議院議員も務めた泉氏の恩師にあたる、石井紘基の死から22年。石井氏と生前交流のあったジャーナリストの今西憲之氏を司会に、今回の本で泉氏と対談を行なった、石井紘基をよく知る3名もゲストとして登壇。

石井氏の長女である石井ターニャ氏、石井氏と共にカルト被害者救済に尽力してきた弁護士の紀藤正樹氏、そしてzoom出演で、石井氏を財政学者として再評価している経済学者の安冨歩氏が、「今を生きる石井紘基」をテーマに、日本のこれからを泉房穂と語った。

*本稿はイベントの談話を記事用に編集したものです。

もしも石井紘基が生きていたら

私は自分の事務所が、議員会館に近いということもあって、時々前を車で通ることもあるし、歩いて帰ることもあるんですけど、夜の7時半ぐらいを過ぎたら、ほとんどの窓の電気が消えているんですよね。それで当時は、石井紘基さんの部屋だけが電気がついていて、「夜遅くまで働く人だな」と。電話をしてもいつでも通じるし、普通の国会議員とは違う、すごい人だと思ったのです。
その後、選挙があったときに、石井紘基さんから「働き過ぎかなぁ?」と言われて。ぎりぎりで当選したんですよ。それで石井さんが、「これまで自分は議員会館で働き過ぎた。もうちょっと選挙区のことも考えないといけないのかな?」と。普通の政治家であれば、夜は選挙区の対策をして、いろんな人と会って、飲み会に参加するというのが一般的かもしれないけれども、石井さんはそういうことにはあまり頓着しなかった。
とにかく、「国家・国民のためになにがよいことなのか?」ということをつねに考えて、非常に努力されていたのが如実に見えたんですよね。(紀藤正樹)『わが恩師・石井紘基が見破った 官僚国家 日本の闇』より〉 

弁護士の紀藤正樹氏。統一教会(現・世界平和統一家庭連合)やオウム真理教などのカルト宗教問題の第一人者であり、石井紘基の生前は、共にカルト被害者救済に奔走。石井氏の暗殺後は、遺族の弁護士として石井ターニャさんを支え、2005年に最高裁判決が確定した後も、事件の真相究明を続け、情報提供を呼びかけている。現在はSNSでも、政治や時事問題について提言をしている。

紀藤 石井紘基さんの話をすると私は本当に何か、うっすら涙が出てくるぐらいに悲しいんですけれど、生前懇意にしていただいて、私がまだ駆け出しの弁護士の頃、30代前半の頃からお話をさせていただきました。

最初に彼から「オウム真理教のことについて知りたい」という電話があって、1995年頃の話ですが、「オウム真理教への対策法を検討したい」との相談をされました。1995年3月20日というのが地下鉄サリン事件の起きた日で、私は当時、非常に忙しくしていましたので、「私の事務所に来ていただけるなら」と言ったんです。石井さんは現役の衆議院議員でしたが、「じゃあ、行きます」と言って来てくれたのが最初のきっかけでした。

それまで私の中で、国会議員の先生というのは、非常にハードルが高いというか、殿上人みたいに思っていたのですが、石井さんの足の軽さに正直言ってびっくりしました。最初に話した時も、「先生づけはしません」と私が言ったんですね。

私は弁護士で、弁護士も先生と呼ばれることが多いと思うんですけど、事務所の中で私も「紀藤さん」と先生づけで呼ばないように指導しているぐらいで、国会議員の方々も先生と呼ぶのはできるだけ避けているんです。先生づけというのは、それ自体が言葉としての権威を持つのでよくないと思って、石井さんにも最初の出会いから、「石井さんと呼ばせてください」と言ったら、全然フレンドリーで、すばらしい政治家でした。

その石井さんが2002年、出会ってからたった7年後に刺殺されるという事件が起こりました。もし彼が生きていて、今でも現役の政治家として活動していたら、果たして今のこの政治状況があるのかなと思うと非常に残念で、悔やんでも悔やみきれません。ですがこの度、泉さんにこういう形で本にしていただいて、石井紘基さんの遺志は今に生きているのだなと感じています。

そしてまた統一教会の問題も、オウム真理教事件もそうですが、20年たっても、ほとんど法制は変わっていないと思っています。表面的な対策は取りましたよ。だけど、基本的に国としての枠組みみたいな法律は、全く出来ていない状況で今に至っているんです。
それが非常に残念で、ロフトプラスワンにお呼びいただいた時、石井さんのためにちゃんと話さないといけない、私がふだん考えていることをお話ししようと思って、今日は来ました。

泉 紀藤弁護士と石井先生は本当にすごかったです。改めてお伝えしますけど、「言うは易く、行なうは難し」です。当時からオウム真理教や統一教会相手に、ことごとく体を張っていたんですよ。紀藤先生は今も体を張っていて、言うは易きだけど、本当に実行できる人ってほとんどいないんです。だから、先にお詫びします。私は石井さんの遺志を継ごうと思い、被害者救済の面では継いだ意識はありますけど、不正追及や、国家の闇に切り込んでいけるかというと、そこは正直なところ悩ましい。

紀藤弁護士は弁護士になった頃から筋を通してやってきているし、それをやった政治家って石井紘基さんぐらいですよ。そういう意味では、今日この場に紀藤弁護士と一緒にいられることを本当にうれしく思います。

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自民党にも認められていた石井紘基

紀藤 石井さんは国会議員として不世出なんですよね。私はこれまでに多くの議員を見てきて、今でもたくさんの議員と懇意にしていますが、その中で彼は何が違うのかと言われると、「運動家でもあり、研究者でもあり、政治家でもあった」というところなのです。

国会議員の中で、運動家であり政治家という人は、結構いるんです。だけど、研究者ではない。研究者であり政治家という人も結構いる。だけど、運動家ではない。だから、運動家であり研究者であり政治家である、そんな人は石井さんの他にはいないんです。

そんな三位一体の人物が亡くなったことは、あまりにも日本にとって大きな損失でした。たとえば、今の立憲民主党、当時は民主党と言われていた政党と、それから自民党。どちらも石井紘基さんの言うことには、一目置いていたんですよね。だって、あまりにも事実関係がきっちりした質問をするわけです。これは彼の「研究者」としての側面ですよね。

だから、官僚も政治家も答えられないわけだけど、石井さんは国会で、「ここまで調べるのか」というような質問をする。そうすると、一目置くしかなくなる。自民党の議員から見ても「敵ながらあっぱれ」となるし、民主党でも派閥をまたいで、「石井さんの話は聞いてみる必要がある」と議論を闘わせることができた。

またそういう彼だからこそ、ただ研究に走るのではなくて、地に足がついた、オウムとか統一教会の問題にも目が行ったと思うのです。たとえば石井さんが構想していた「国民会計検査院」にしても、会計の問題というのは、一種抽象的な議論なんですよね。だけども、現場の議論があって初めて抽象化できるわけです。彼が一人で各省庁から集めた資料があったから、それを積み上げて、「国家予算の不透明な流れ」という仮説を立てることができた。さっき安冨さんもそこがすごいと言っていましたけど、そういうことができる理由は、庶民感覚とか現場感覚がわかっていたからとしか言いようがない。

現場感覚とか庶民感覚というのは、まさに「自分の足で稼ぐ」ということなんですよね。だから、統一教会にしてもオウム真理教についても、自分で調べに行くんです。もちろんその前提として正義感があるから、「被害者のためにやってあげないといけない」とか、「自分がやらないといけない」ということで、被害者救済に奔走していた。これは「政治家」としての本分です。

オウム真理教については、ロシアでも調査していて殺された人がいるぐらいで、当時のロシアで追及すれば追及するほど危なくなる、それだけロシアの政権に食い込んでいた。石井さんはソ連に留学していて、ロシアの事情にも通じていましたから、そういう危険性をわかっていて、オウム問題に命がけで取り組んでいた。人々の前面に立てる「運動家」でもあり、デモ行進の先頭に立てる人なんです。そういう運動家であり政治家であり研究者という人は、なかなか出ないですよね。