10月27日、秋の中距離チャンピオンを決める秋の天皇賞(GⅠ、東京・芝2000m)が行なわれ、単勝2番人気に推されたドウデュース(牡5歳/栗東・友道康夫厩舎)が後方一気の追い込みを決めて優勝。朝日杯フューチュリティステークス(2021年)、日本ダービー(22年)、有馬記念(23年)に次いで4つ目のGⅠタイトルを手にした。
2着には昨年のダービー馬で9番人気のタスティエーラ(牡4歳/美浦・堀宣行厩舎)が入り、3着には8番人気のホウオウビスケッツ(牡4歳/奥村武厩舎)が逃げ粘ったため、3連単の払戻は39万7100円の波乱となった。
一方、1番人気に推された昨年の三冠牝馬リバティアイランド(牝4歳/栗東・中内田充正厩舎)は直線半ばで馬群に飲まれて13着に敗退。3番人気のレーベンスティール(牡4歳/美浦・田中博康厩舎)は末の伸びを欠いて8着に終わった。
1000m通過が59.9秒というスローペースとなった今年の天皇賞(秋)。先行した馬にとって圧倒的に有利な流れとなっただけに、通常なら先団から突き抜けたタスティエーラが、逃げたホウオウビスケッツを差し切って優勝…という結果になるはずの展開だった。しかし実際に勝利を手にしたのは、道中14番手という後方から直線勝負にかけたドウデュースだったのだから恐ろしい。
詳しい数字を見ていくと、レースの上がり3ハロンは33秒7(11秒1-11秒1-11秒5)で、俗に言う「決め手勝負」の競馬。とはいえ、これだけ速い上がり時計だと後方を進んだ馬は明らかに分が悪い。しかし、ここでドウデュースが叩き出した時計は驚異の32秒5。レースの上がりより実に1秒2も違う破格の末脚を使ったのだ。ハロンごとの時計ならば、おそらく二度は10秒台で疾駆していたはず。レース後、手綱をとった武豊騎手が「まるで”倍速”で走っているようだった」とコメントしたのも頷ける数字である。
他馬とは1頭だけ違った競馬をさせて、後方から末脚勝負で突き抜ける。このレースを見て筆者は既視感にとらわれた。「いつかの”秋天”と似ている」と。そして記憶を探って思い当たったのが1999年、スペシャルウィークが目の覚めるような追い込みを決めた天皇賞(秋)である。もちろん鞍上には武豊騎手がいた。
1999年の宝塚記念(GⅠ)でグラスワンダーに3馬身も千切られ、秋初戦の京都大賞典(GⅡ)はデビュー以来、初めて掲示板を外す7着に大敗。「スペシャルウィークはもう終わった」という声も聞こえるなか、単勝4番人気まで評価を落として迎えた天皇賞(秋)。もともとは追い込みを得意としていたが、前年の秋から先行・差しに脚質転換して良績を残してきた彼だが、武豊騎手は思い切ってかつての戦い方、後方からの競馬に賭けた。すると、スペシャルウィークは12番手で迎えた直線で末脚が爆発。馬群の外を一気に駆け抜けて同年の天皇賞(春)以来の復活勝利を挙げたのである。
今春のドバイターフ(G1)を5着、道悪の宝塚記念を6着と連敗。中間も調教で手綱をとりながら、一緒にダービーを勝った相棒ドウデュースの復活にかけた武豊騎手がとった策は、「ある程度、腹をくくってラストにかけるレースをしたいと思っていた」という後方待機策。「(ペースは)遅かったが、これしかない」と、やや行きたがるドウデュースをなだめながら、後ろから2番手を追走し、直線で恐ろしいまでの切れ味を引き出しての復活Vがこのレースだった。 かつて「ミスター競馬」と呼ばれ、調教師としてシンボリルドルフを育てた野平祐二氏に、1993年の日本ダービーに関するインタビューをしたときのこと。この年はウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの三強争いと見られており、実際にこの3頭で決着したのだが、野平氏は3着には敗れたものの、ナリタタイシンの手綱をとった武豊騎手の胆力に舌を巻いていた。
鋭い追い込みを武器としたナリタタイシンで後方待機は必然ではあるものの、まだ「第1コーナーを10番手以内で通過しないと、ダービーは勝てない」という”ダービー・ポジション”というジンクスが強く残っていた当時、追い込みに徹することはある意味で勇気のいることだった。3着に敗れたものの無理に前に付けようとはせず、後方待機の策をこともなさげにやってのけた当時24歳の若武者を野平氏は、「分かっていても動きたくなるのがダービーというレース。彼の胆力は私の理解の範疇を超えている」と驚嘆とともに評したことを思い出す。それが武豊騎手の凄みである。
今年の天皇賞(秋)は「ドウデュースの鬼脚が炸裂した記念碑的なレース」と記憶されるべきものだと思う。そして、その脚を引き出した武豊騎手の傑出した技術と鋼のメンタル、愛馬を復活勝利に導いた友道康夫厩舎と牧場スタッフの卓抜した能力にも賛辞を送りたい。
一方、気になるのは人気を裏切って大敗したリバティアイランド。中団から位置を押し上げながら3番手で直線へ向き、さてここからというところで伸びを欠いて馬群に沈んでしまった。川田将雅騎手は「4コーナーまで抜群の手応えでこられましたが、これだけ動けなかったのは初めて」と戸惑いを口にしたという。
同馬は馬体重が前々走となる昨年のジャパンカップと比べてプラス22キロと目立つ数字だったが、パドックで見た限りでは太め残りとは感じられなかった。3月末のドバイ遠征以来、約7か月ぶりの実戦であり、追い切りで抜群の動きを見せていたものの、俗にいう「中身が伴っていない」状態だったのか。真相は掴みかねるが、かなり心配な負け方であったのは確か。稀代の三冠牝馬は秋のGⅠシーズンに欠かせぬ存在だけに、彼女らしい走りを取り戻してほしいと願うのみである。
取材・文●三好達彦
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