宇宙空間が人体に及ぼす生理的影響を理解し、その対策を講じることは、有人探査ミッションの成功には不可欠です。/ Credit : Canva

長期にわたる宇宙探査が現実のものとなる中、人体が宇宙空間でどのように変化するのかを理解することが、重要な課題となっています。

特に、宇宙空間が人体に及ぼす生理的影響を理解し、その対策を開発することは、有人探査ミッションの成功には欠かせません。

従来は、固体生検という方法で組織を直接採取して調べていましたが、この方法には「痛み」や「感染リスク」といった問題があり、さらに特別な機材が必要でした。

そこで近年注目されているのが、「液体生検」です。

この方法では、体内を流れる血中遊離DNA(cfDNA)、循環細胞外RNA(cfRNA)を調べることで、従来の方法よりも早い段階で身体の変化を捉えることが可能になります。

cfDNAを用いた健康状態のモニタリングは、地上ではがんの診断や治療において注目されているアプローチです。

研究では、6名の宇宙飛行士について、およそ120日間の国際宇宙ステーション滞在中とその前後に血液を採取し、そこに含まれるcfDNAやcfRNAから体内で起こる変化を調べました。

また、この研究では、CD36と呼ばれる抗体を指標として、宇宙環境への人体応答に関わるミトコンドリアを分離できることを新たに見いだしました。

この手法により、細胞外に放出されたミトコンドリアの状態等を推定することが可能となり、脳、眼、心臓、血管系、肺や皮膚を含む、全身にわたる宇宙環境の影響を捉えることに成功しています。

筑波大学による研究の詳細については、2024年6月11日付の『Nature Communications』に掲載されています。

目次

宇宙飛行士の健康モニタリング宇宙滞在中の身体の変化分子レベルでの人体への影響

宇宙飛行士の健康モニタリング

宇宙飛行士は、宇宙という特別な環境で多くのストレスを受けています。

そこで注目されているのが「液体生検」という新しい検査方法です。

これは、血液中にある遊離DNA(cfDNA)や循環細胞外RNA(cfRNA)、そして細胞から分泌される小さな粒子(細胞外小胞)を調べることで、ストレスが身体にどのような影響を与えるかを明らかにします。

地球では、この液体生検を使って、がん細胞から血液中に放出されるcfDNAやcfRNAを検出し、がんの早期発見や治療効果の確認に役立てています。

これは、内視鏡や針で組織を採取する従来の「固体生検」に比べて、患者への負担を大きく軽減します。

将来的には、宇宙飛行士が宇宙で健康を維持し、地球に帰還した後の回復を追跡する手段としても期待されています。

特に、宇宙滞在中に起こるDNAの損傷や細胞の変化を検出するために、cfDNAが有用であることが分かってきました。

技術が進歩すれば、長期の宇宙ミッション中でも、乗組員が自分の健康状態をリアルタイムで把握できる日が来るかもしれません。

双子を使った比較実験

NASAの双子研究では、一卵性双生児の宇宙飛行士を使って、宇宙滞在が人体に与える影響を詳しく調べました。

宇宙に行った兄弟と地球に残った兄弟の遺伝子データを比較した結果、宇宙にいた兄弟の体内で「ミトコンドリアストレス」という現象が確認され、ミッション中にミトコンドリア由来のcfRNAやcfDNAが急増することが分かりました。

また、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が行った実験でも、宇宙空間にいるマウスの体内でミトコンドリア成分が増加することが確認され、人間のデータと合わせて解析が進められています。これらの結果から、液体生検を使って宇宙空間での身体の反応を把握する新たな方法が見つかりつつあります。

このような研究の進展により、将来的には宇宙飛行士が宇宙で受ける影響を早期に察知し、迅速に対策を取ることが可能になるかもしれません。

ポータブルな解析機器を使って、宇宙飛行中に健康状態をリアルタイムでモニタリングできる技術の進化も、宇宙探査の未来をさらに近づけています。

液体生検は、これからの宇宙探査において、飛行中の健康管理に大いに役立つ技術です。

従来の生検に代わり、より手軽で迅速な健康状態のモニタリングを可能にするこの技術が、宇宙医療をどこまで進化させるのか、その未来が期待されています。


アポトーシス(細胞死)、細胞壊死、細胞分泌から放出されるcfDNA、cfRNA、細胞外小胞の変化によって宇宙滞在時におけるストレスの影響を調べます。/ Credit : 村谷匡史ら, JAXA報告書(2023)

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宇宙滞在中の身体の変化

新たな研究では、6人の宇宙飛行士から採取した血漿中のcfRNAおよびcfDNAのサンプルを分析し、宇宙滞在中および地球帰還後の遺伝子の変化を調査しました。

主な発見として、宇宙滞在中にミトコンドリア内のDNAとRNAが増加しましたが、地球帰還後にはほぼ元に戻ることが確認されました。

また、RNAシーケンス解析(細胞中の全mRNAの塩基配列を解読)によって、宇宙滞在中に骨格筋や小脳に関連する遺伝子のRNAレベルが減少し、地球帰還後に回復する傾向が見られた一方で、ビタミンD受容体のシグナル伝達経路に関与する遺伝子も変動していました。

さらに、ミトコンドリア由来の構成成分が、血漿中に存在する細胞外小胞の中に保護されている可能性が示され、特にCD36抗体(CD36というタンパク質を検出するための抗体)と関連した細胞外小胞が宇宙滞在中に血流中に放出されていることが確認されました。

また、同由来のcfRNAは、脳や骨格筋、心筋など多様な組織に由来しており、宇宙滞在中にこれらの組織間の分子レベルでの変化を捉えることができたと結論付けられました。

これらの結果は、宇宙という新しい環境に適応して、人間の遺伝子の働き方が変化していることを示しています。


Pre(飛行前)、 Flight(宇宙滞在時)、Post(地球帰還時)における生体変化の各傾向を示します。図Aは、地球帰還時には概ね飛行前の状態に戻ることを示しています。図Bと比べ、図Cでは宇宙滞在時にムチン遺伝子とミトコンドリア遺伝子の変化が確認できます。/ Credit : 村谷匡史ら, JAXA報告書(2023)