4年ぶりの日本一を目指す福岡ソフトバンクホークス。その強力打線を陰ながら支えているのが、今年10月9日に『職業・打撃投手』(ワニブックスPLUS新書)を上梓した、ソフトバンク所属のチーム最年長打撃投手、濱涯泰司さん(はまぎわ・やすじ。54歳)だ。その道25年、投げた球は40万球以上……。“打たれる職人”の哲学に迫る。
一日の労働時間は20分
野手の試合前打撃練習は1チームで1時間20分。この時間内に設営された2つのバッティングゲージに入れ代わり立ち代わりで打者が入り、日々の打球感覚を調整する。
そのボールを投げるのが打撃投手(バッティングピッチャー)の仕事だ。各球団、基本的に1軍に左右4人ずつ8人の打撃投手が在籍している。2つのゲージのうち1ヶ所は右投げの打撃投手が、もう1ヶ所は左投げの打撃投手が投げるため、打撃投手1人あたりの投球時間は「1時間20分(80分)÷4人」で20分。
球拾いや練習のサポートもするが、ほかに兼任の仕事をしていない限り、彼らの一日の仕事はこれで終わりだ。
「1日の労働時間が20分⁉ なんてラクな仕事なんだ」
そう思う人もいるかもしれない。しかし……。
「みんな1年契約だから、打者が練習にならない球を投げていれば1、2年で球団からクビを言い渡されることもあります。私も何人も辞めていく人を見てきたので、簡単な仕事じゃないのはたしかです」
54歳、球界でも最年長の域に入るベテラン打撃投手の濱涯さんは、この仕事の難しさをそう話す。
濱涯さんは小学1年で硬式野球を始め、投手として地元鹿児島県の強豪・鹿児島商工(現樟南)に進学。甲子園の出場経験こそないが、制球力含めてその完成度を関係者の中で高く評価されていた。
熱心な誘いを受けて進んだ九州国際大学4年時には、九州六大学野球の春のリーグ戦で全10試合に完投勝利し、115奪三振という32年経った今でも破られていない記録も樹立している。
そうして1992年のドラフト会議、当時の福岡ダイエーホークスからドラフト3位で指名を受けてプロの世界へ。
だが、憧れのプロ野球選手としての生活は7年間と決して長くはなかった。通算58試合に登板し、1勝1敗1セーブ。1999年、戦力外通告と同時に球団から提案されたのが打撃投手という新たな仕事だった。
「現役続行かどうかを悩みましたが、戦力外通告のタイミングが少し遅くて他球団の編成が終わってしまっており、受け入れてもらえる球団はありませんでした。
打撃投手という仕事があるのはもちろん知っていたし、野球界に携わっていけるのであれば……と、もうそこは割り切って」
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打撃投手の最大の敵“イップス”
こうしてセカンドキャリアが始まった濱涯さん。しかし、“抑える仕事”から“打たれる仕事”になったことへの葛藤はなかったのか。
「あまりなかったですね。とりあえずストライクを投げればいいと簡単に考えてましたので」
コントロールに自信があるからこその言葉だろう。そのなかで、打撃投手の難しさとはいったい何なのか。
「打撃投手の球速は100~110キロだから、最初はみんなスピードを殺すことに苦労します。しかも、ただ遅いだけじゃなくてスピンのきいた遅いボールでないと意味がない。
でも元プロの投手が指にかけるとどうしても速くなっちゃうから大変なんです。
僕はもともと遅かったんで問題ありませんでしたが(笑)」
そう言って大学リーグの奪三振記録保持者は笑う。
さらに厄介なのが、打撃投手の最大の敵と言われる“イップス”だ。
濱涯さんは著書の中で「私の感覚で言うと、もし打撃投手が100人いたとしたら、半数の50人がイップスになり、うち半数の25人が打撃投手をやめてしまう、それくらいの頻度で発生しているように思います」と書いている。
「ストライクを投げないといけない、バッターに気持ちよく打たせないといけないというプレッシャーからなることが多いですね。デッドボールを当ててしまってからおかしくなる打撃投手もいました。
今はそんな選手はいませんが、昔はストライクが入らなかったり打ちにくかったりするとゲージをバットで叩いたり、まだ時間が残ってるのに打撃練習を切り上げたりする怖い選手もいて、それでイップスになる人もいましたね」
想像しただけで胃が痛くなる。
濱涯さんは打撃投手となってデッドボールを当てたことは一度もない。内角に投げなきゃいけないケースでも、「(もし体に向かっても)自分の球なら避けられるでしょ」と考えているという。
「打撃投手は繊細な人よりも、神経が太い人のほうがいいかも。私も“なるようになる”と思ってますから」
濱涯さんにとって、理想の打撃投手とは何なのか?
「理想は同じコースに同じスピードで投げ続けられること。打撃投手はそれを目指してやってるけど、なかなかそうはいきませんね。
だったらマシンでいいじゃないかという人もいますが、人間の投げた球とは質が違うと思いますし、“バッターが何を求めているか”までマシンはわからない。
野手は毎日同じバッティング練習をするわけじゃなくて、その日その日で試したいことがあって、いろいろと考えながら打っている。それを言葉で交わさないまでも察知してあげて、応えてあげるのも打撃投手の仕事だと思うんです」