選手指導を行った監督は、過去にもいたので、決して珍しいことではない
昔は監督でありながら、「教え魔」と呼ばれる人が実際にいた。ロッテ(1979~81年)、中日(1984~86年)時代に監督を務めた山内一弘さん。そして、西鉄(1962~69年)、日本ハム(1974~75年)、阪神(1980~81年)で監督を務めた中西太さんらが好例だ。
両者に共通するのは、いずれも指導者になってからは「打撃職人」と呼ばれていた点である。
それぞれ熱心に選手を指導していた姿が印象深い。山内さんは、通算2271安打を放ち、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回のタイトルを獲得。一方の中西さんは、首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回のタイトルを獲得。コーチとしての説得力は十二分にある。
山内さんは時間を忘れて打撃指導する様子から、当時のCMをもじって「かっぱえびせん」の異名をもらうほどだった。時には敵味方を離れてライバルである相手チームの選手にまで教えていたというのだから、恐れ入ったというほかない。
山内さんとは私が阪神に移籍した1976年から2年間、打撃コーチとして同じユニフォームを着ていた。打者連中には山内さんはまず、
「ボールは何カ所、とらえるポイントがあるか知っているか?」
と質問してきたという。答えに窮していると、山内さんはこう答えた。
「5カ所だよ。上、下、右、左、真ん中だ」
そんなにボールをとらえるポイントがあるなんて誰一人として考えたことがなかった。そのうえで、
「空振りをするときは、ボールの下の部分を狙いなさい」
そうすることで、スイングの軌道が水平になるというわけだ。
「とにかくバットを振らされていた思い出が強く残っていますよ」
そう証言するのは、のちに阪神の4番に座った掛布雅之だった。掛布以外にも山内さんの指導を受けた当時の阪神の選手はもちろんのこと、他のチームで山内さんの指導を仰いだ選手全員が同じような証言をしていたこともここに付け加えておく。
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ミスタードラゴンズの失敗
江本孟紀
2024/11/1990円(税込)210ページISBN: 978-4594099213
2022年に中日ドラゴンズの監督に就任した立浪和義氏。長らく続く低迷を打破すべく、大きな期待を背負っての船出となりました。
しかし、多くのファンの期待とは裏腹に3年連続で最下位に沈み、今季限りでの退任を表明……。
現役時代には「ミスタードラゴンズ」と呼ばれ、カリスマ扱いされていた同氏は、なぜ監督として成功しなかったのか。
本書は、その“理由”を野球解説者の江本孟紀氏が考察する一冊です。
世代は異なるものの、共演経験のある立浪氏の3年間に対して思うところがあったという江本氏。
同時期に就任した北海道日本ハムの新庄剛志監督との比較や、星野仙一氏や落合博満氏といったドラゴンズのレジェンド監督から「学ぶべきだったこと」、
さらには球団の未来についてまでーー忖度一切なしで語りつくします。
第1章
立浪采配は批判されるべきなのか
第2章
立浪監督と新井監督、新庄監督の違いについて、証してみる
第3章
立浪監督が学ぶべきだった野球人とは
第4章
立浪監督がドラゴンズで学ぶべきだった3人の監督
第5章
私が考える、中日が優勝するための改革案
第6章
名監督はどういう条件の下で生まれるのか
第7章
「ミスタードラゴンズ」にセカンドチャンスを!