ジェーン・スー、桜林直子の快適論「シーツを変える頻度が違う人とはベッドを分ける」「毛玉のついたタイツは処分した方がいい」

シーツやタオル、下着などの消耗品を替える頻度は人それぞれに基準があり、正解はない。一緒に生活する人とその頻度が違った場合、どのように調整するのが一番いいのだろうか? 

コラムニスト・ジェーン・スーとエッセイスト桜林直子の対談をまとめた書籍『過去の握力 未来の浮力』より一部抜粋・再構成し、人それぞれの快適さについて考察する。

シーツ理論と私の快適

桜林直子(以下、サク) 「これ気になっちゃうのは、わたしが細かすぎるのかな」って思うような出来事がこの間あったのよ。

ジェーン・スー(以下、スー) シーツを何日で替えるかは人による、みたいな話かな。物理的というより生理的にイヤっていう。

サク そうかも。感覚としてはうっすら「何かイヤだなー」と思っていて、見に行かずにそのままにしてたけど、やっぱり気になってしまって、最終的にはちゃんと見に行って折り合いをつけたんだよね。

スー つまり、シーツ替えた?

サク ベッドを分けた。

スー おーなるほど。シーツを変える頻度が違う人とはベッドを分ける、だ。

サク 平和的解決ができてよかったよ。それぞれの大事なものをそれぞれ大事にしましょうって。

スー 大切なもののバリューを人と戦わせても不毛だから、各々大事なものを大事にする方向に行くのが一番。どのくらいの頻度でシーツを替えるのが気持ちいいのか悪いのか、自分でちゃんとわかっておく方がいいけど。

サク 自分にとっての快適は大事にした方がいいよね。

スー 快適とは安心、安全、受容だと思っていますよ。

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大量の黒タイツが

サク 快適じゃないことを人のせいにするのもよくないし、「これって快適ですか」って人に聞いても仕方ない。当然だけど自分の快適さは自分にしかわからないから。人に聞くようになると、身の周りにあるものが誰かに促されたり、おすすめされたりしたものばかりになって、どれひとつ自分の意思で選んだ気がしない。

選んでいるつもりが好きなものではないっていう状態になっちゃう。わたしの好きなもの、わたしの快適って何だっけってわからなくなっちゃうのよ。

スー 仕事、パートナー、住居から服まで、自分を構成する要素を書き出してみて、自分が好きで選んでいるものとそうでないものを分けてみるといいね。「私らしさ」とか「私らしく」をしつこく因数分解していくと、快適とセットになっているはず。「私らしさ」「私らしく」が不快とセットになってるなら、それこそ大至急設定を変えないと。

サク 快適さと並んで「自分を大切にする」っていうのもよく言われているよね。なんだかふんわりしている言葉だけど、わたしはその前に自分を蔑(ないがし)ろにしてないかとか、いわゆるセルフネグレクトしてないかをチェックしてみるのがいいと思う。歯が痛いのに歯医者に行かない。とかをしていないか、とかね。

スー サクちゃんが昔、「自分を大切にするというのは古いタオルを使うのをやめることだ」と言ってたけど、本当にそうだと思う。暴飲暴食しないとか、健康に気を遣うとか、いま風の言葉で言うならウェルビーイング、自分に対してきちんとすることだよね。

サク タオルの話をすると、「まだ使えるからもったいない」とかそういう話も出てきて、お金も関わることだから話すのが難しいんだけどね。

スー うちには使えるけどいらないものがいっぱいあって。セルフネグレクト的な観点から考えると、新しいものに変えた方が良くない? と思いながらも、まだ使えるからなーって判断を先送りしちゃう。

サク うちは引っ越しのたびにいろんなものを処分してきたけど。部屋が広くて置けちゃうと捨てる理由がなかったりするかもね。

スー とは言え、何となくどんよりするわけ。断捨離したいわけじゃないけど、この間ドレッサーの一番上を開けたら大量の黒タイツが出てきた。絶対にこんなにいらないのに! 毛玉がついているものも、何かの下ならはいてOKと思っちゃうと処分できない。

サク タイツって買い足すとどれが新しいものかわからなくなったりするしね。