「シングルマザーはヤクザと同じだから」社会復帰を目指し、起業した女性に待ち受けていた試練…子どもと生きていくと決めた母親の覚悟と幸せのモチベーションとは?

出産後、夫の起業を手伝い、仕事と子育ての両立に苦しんだ大津たまみさん。その後離婚し、子どもと2人で生きていくと決めた彼女は、社会復帰を目指し会社を起こす。しかし、そこには思いもよらぬ壁が立ちはだかった……。(前後編の後編)

お金がない、仕事もない、実家もない

2006年1月。35歳のときに離婚が成立した大津たまみさんは、まずは「お金を稼がなければ」と思った。

家事・育児と仕事に追われる一方で、夫とのすれ違い生活のストレスから買い物依存症になり、必要のないものまで買ってしまっていたため、手元にまったくお金がなかったのだ。

「働きに行こう」と思った大津さんは、10社以上履歴書を書き、送った。

だが面接まで漕ぎ着けたのは、たったの2〜3社。

しかも、どこの面接でも「あなた、小さいお子さんがいるよね? 何かあったときに預ける場所あるの?」とか、「夜勤はできるの?」「出張は行けるの?」などと聞かれ、不採用に。

「当時、息子が小学校4年生でしたが、まだ2006年くらいって、女性が離婚していることがものすごく悪いことみたいに受け取られて、きついこともたくさん言われました。『俺の女になるなら採用してやるよ』なんて言われたこともありました……」

就職活動を半年近くしたが、採用される見込みが得られなかった大津さんは、「もう実家に帰ろう」と思い、帰省する。

すると、父親から開口一番「帰ってくるな」と言われた。

「私が育ったところが、ちょっとした“田舎の村”みたいな感じで……。両親は世間体を気にする人なので、受け入れてもらえませんでした。もう、八方塞がりです」

お金も底をつき、絶望しかけたとき、清掃会社での日々を思い出した。

「私は掃除の仕事にものすごい生きがいを感じていました。なぜなら掃除は、多くの女性が社会で活躍することを助けることができる特別な仕事だと思ったからです。

さらに私は、高校卒業後からずっと、子どもができてからも切れ目なく働き続けてきていて、そのことに誇りもありました。

掃除の仕事に感じる生きがい、女性が活躍できる仕事、子どもができても切れ目なく働き続けてきたという誇り。この3つが重なったときに、『よし、自分で自分を生涯雇用しよう!』と思ったんです」

大津さんは起業を決意した。買い物依存症は、いつしか治っていた。

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ボロアパートからのスタート

大津さんはまず、事業計画書を書いた。

筆者はその時の事業計画書を見せてもらったが、初めてのことに挑む緊張感が伝わってくるような紙面で、不慣れな内容ながらも、丁寧な字で、手書きで書かれたものだった。

「当時小学校4年生の息子は大のゲーム好きで、ゲームの大会に出るのが将来の夢だったのですが、私はそんな夢見がちな彼の夢を叶えられる母親になりたいと思ったんです。

そのためにはお金が必要。だから分からないなりにも、とにかく『自分の頭の中を紙に書き出そう』という一心で、事業計画書を書き上げました」

事業内容の欄には、「子育て中、もしくは子育てが一段落した女性の、社会進出事業」。最終目標の欄には、「私は幸せになる」と書かれていた。

お金がない大津さんには、時間もなかった。そんな中、がむしゃらに起業に向けて邁進する大津さんを、応援する人はほとんどいなかった。

それどころか、「会社なんて起こしてもうまくいくわけない」「弱虫なあなたが起業しても失敗するに決まっている」などという言葉をシャワーのように浴びせ続けた。

「誰も信じられないばかりか、自分さえ信じられなくなっていました。でも私は、子どもと2人で生きていくと決めたのだから、『他人に求めてばかり、自分に言い訳ばかりしてきた人生に、一度終止符を打とう』と、自分に言い聞かせました。

『お金がないなら、知恵を出そう』とも……。清掃の仕事なら、バケツに雑巾1枚と洗剤があればできますから」

ところが起業するにあたり、事務所を借りるにも試練が待ち受けていた。

「どこの不動産会社に行っても、シングルマザーで身元保証人がいないということで断られました。『シングルマザーはヤクザと同じだから』と冷たい言葉を浴びせられることあり、途方に暮れました。

そんなとき、シングルマザーの事務員さんがいらっしゃる不動産屋さんに巡り合って……。その事務員さんが大家さんに掛け合ってくれたおかげで、ようやく事務所が借りられたんです」

事務所といっても、築30年以上と思しきボロボロのアパートの一室だった。

「『雅荘』というアパートでしたけど、雅なところはどこにもありませんでしたね。会社の看板も、ドアにテプラで作ったものを貼り付けただけ。そこからゼロベースで事業をスタートさせたんです」

一つの区切りとして、ずっと続けてきていた化粧品販売の仕事も辞め、裸一貫でのスタートだった。