東出昌大はなぜ、メディア嫌いにならないのか。どれだけ嘘を書かれてもメディアの人間と仲よくできる理由「罪を憎んで人を憎まずじゃないですけど…」

仕事でもプライベートでもさまざまな問題を抱えやすい30代中盤。人生の中で一度、大きくつまずいた経験のある東出昌大(36)は今、狩猟をしながら山暮らしを続けている。今夏には再婚を発表し、新たな道を歩みはじめた。彼は一体どんな人生観をもって生きているのだろうか。ちょっとした近況さえも、すぐにネットニュースになる見逃せない男・東出を直撃した。(全3回の1回目)
 

東出昌大という人物に惹かれる一方で抱く不可解さ

朝8時、山あいに男の声が響き渡る。

「〇〇さ〜ん、いつでもど〜ぞぉ〜」

少し鼻にかかったような、どこか甘さを感じる声。姿は見えなくとも、声の主は東出昌大だとすぐにわかった。名を呼ばれた編集者は、すぐさま大声で了解の意を返す。

東出が今、拠点としているのは北関東の、ある山中の廃屋になりかけている家だ。地元の人の厚意で無償で借りているというその場所は標高が高いため夏は涼しく、冬は雪に覆われる。

大きな家だが、使っているのは主に軒先のトタン屋根の下、調理場を兼ねた野外食堂のようなスペースと、周囲の空き地だけだ。水は近くの沢から引き、火は屋外用のかまどに薪をくべておこす。また、空き地には野菜を自給自足するための畑を作り、さらには現在、小ぶりな山小屋を自力で建設中だ。

付け加えると、周囲の野っ原は野外トイレでもある。大便の場合はシャベルで穴を掘り、土の中に還す。いわば、ナチュラルな循環式トイレだ。

その日、東出が希望していた取材開始時刻は午前9時だった。われわれ取材班は前日、川を挟んで東出の家から百メートルほど離れた位置にあるキャンプ場のバンガローに宿泊していた。

空から東出の声が降ってきたのは屋外の囲炉裏を囲み、川のせせらぎに耳を澄ましながらモーニングコーヒーを飲んでいるときだった。

取り込まれてはならない——。

東出を取材するにあたり、私と編集者とカメラマンの3人は、事前に何度となくそんな決意を立て合っていた。移動中の車の中でも、前日の晩、夜遅くまで火を囲みながら「東出論」あるいは男の人生論を語り合っているときも。

2020年のはじめに女性スキャンダルを報じられた東出は、そこから一転、世間の「嫌われ者」になった。その約2年後、世間から逃れるように山暮らしを始めた東出の映像や記事に触れるにつけ、あるいは出版界で伝え聞く東出の噂話を聞くにつけ、正直なところ、東出という人物に惹かれる一方で、不可解さも抱くようになっていた。ごくシンプルな表現を使えば、わからなくなっていた。

彼はなぜ、メディア嫌いにならないのか。そこが最大の謎だった。

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東出からふるまわれる豪快なもてなし

報道によって自分の像がどうしようもないほどに凝固してしまう恐怖を嫌というほど味わったはずだ。身から出た錆とはいえ、想像するに、行き過ぎた内容の報道もあったに違いない。

恐れと嫌悪を抱いてしまうのがごく自然な状況で、東出は、メディアを遠ざけるどころか、無防備なほどに受け入れていたし、メディアの人間もそんな開けっぴろげに見える東出にすっかりほだされてしまっているように映った。

じつは取材前日の夜にバーベキューをしているとき、東出が再婚することを発表したばかりの夫人から、東出が自ら撃ったシカ肉の差し入れが届いた。生でも食べられるというシカ肉は牛や豚では味わえない旨味に満ち、われわれにひとときの幸福をもたらした。

だからだろう、シカ肉に舌鼓をうったあと、編集者はすかさず提案してきた。「この肉の味はいったん忘れましょう」と。賛成だった。

東出に取り込まれてしまう理由。そのうちの一つは、このもてなしにあると思った。東出が出ている映像を観ていると、山に彼を訪ねた人たちは十中八九、シカ、イノシシ、クマといった野生動物の肉をふるまわれる。

色男の手によって作られる豪快な料理は山中というシチュエーションも相まってそれだけで絵になるし、とにかくうまそうだった。「食べ物の恨みは一生」という言葉があるように「食べ物の感動も一生」である。だから、食べ物の味と、彼への情はいったん切り離さなければならないと私も思った。

にもかかわらず、われわれは早朝の東出の粋なゴーサインにやられかけた。なんと素敵な取材の幕開けなのだろう、と。まるで、自分が映画の登場人物になったかのような錯覚に陥りかけた。

いつでも出発できるよう準備していたわれわれは、9時まで待たずに東出のもとを訪ねることにした。家の前には映像で何度も観た傷だらけの、薄いブルーのプリウスが停めてあった。雪道で何度となくスリップし、そのたびに岩に車をぶつけてしまったのだという。

「東出です」

迷彩柄のパンツに黒い無地のTシャツ。長い髪は力士のように後ろで結っていた。どんなに有名であってもわざわざ自分の名を名乗る人が時折いるが、東出もそうだった。

東出は前の日の夜遅く、久しぶりに山に戻ってきたばかりだった。舞台の稽古のため、2週間ほど生活拠点を首都圏に移していたのだという。

それだけのことでも東出はニュースになった。