武士の副業の中にもカーストはあった


江原素六、明治維新後は麻布学園を創設するなど教育者として活躍した / credit:wikipedia

しかし「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあるように、武士はたとえ貧しくとも気高くなければならないという価値観は江戸時代を通して残っていました。

そのようなこともあって、副業に対する御家人自身の考えは複雑なところがあったのです。

当時の人々は「武芸や学問の教授や刀研ぎといった武士らしい副業はまだ世間体がいいが、植物栽培や傘張りといった武士らしくない副業は世間体が悪い」と考えていました。

そのことは、先述した楊枝作りの副業を行っていた江原素六が楊枝を売る際に、夜間に脇差を見えないように挟んで頬被りをして売り歩いたことからも伺えます。

結局、御家人の暮らしは、忠孝武備という理想と、内職という現実の間で揺れ動くものでした。

彼らはそれぞれの事情に応じて様々な形で内職を行い、その中で生活を成り立たせていったのです。

まさに、江戸の武士たちは、世間体よりも日々の暮らしを優先せざるを得なかったことが伺えます。

参考文献

東京都江戸東京博物館リポジトリ
https://edo-tokyo-museum.repo.nii.ac.jp/records/318

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

ナゾロジー 編集部