現在、実写ドラマが放送され注目を集めている『ゴールデンカムイ』。同作には多くの名場面がありますが、ちょっとしたアイヌ文化の知識があると、より深く楽しめるようになることは間違いありません。
今回はドラマ第3話で登場したある場面を題材に、同作でアイヌ語監修を務めた中川裕氏による新書『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』より一部を抜粋してお届けします。
『ゴールデンカムイ』5巻44話で、尾形に銃撃された谷垣が家の壁を切り抜いて脱出するという場面がありました。
谷垣はフチに「おばあちゃん カベ壊してごめん」「必ず戻って直すから」と言って去りますが、フチにとっては壁を壊されたことより、そこから谷垣が外に出て行ったことの方が、心痛む出来事だったと思います。
というのは、アイヌは昔はお葬式で墓地に遺体を埋葬に行く際に、遺体を茣蓙(ござ)に包んでから、家の北側の壁(まさに谷垣が脱出した壁)の萱(かや)を抜いて穴を開け、そこから出したからです。
死者の魂がもし無事にあの世に行けずに戻って来てしまった時、出て行ったところから入ろうとするので、玄関から出すと玄関から入って来てしまいます。そこで、壁に穴を開けて出し、その後で壁をふさいでしまうと、戻って来た死者の魂は、出て来たところがなくなっているので家に入れないというわけです。
だから、谷垣が壁の穴から出て行った時には、フチはまるで死者を見送るような気持ちだったに違いありません。
どこの民族でも同じだと思いますが、死者の魂がこの世に未練を残してとどまるというのは、非常に恐ろしいことでした。だから死者がこの世のことを思い出すことなく、安心してあの世へ行けるように、さまざまな気配りをしたものです。
たとえば、壁の穴から遺体を出す時も、頭からではなく足の方を先にしました。頭の方から先に外に出すと、死者が頭を持ち上げた時に家の方を見ることになって、ああ、まだここにいたいと思ってしまうかもしれないからです。
昔の墓地は村からそう遠くないところに作られており、土葬でした。埋葬して墓標を立てた後、村に戻るまでの間、参列者はけっして墓地の方を振り返ってはならないとされていました。死者の魂が視線に気がつくと、村までついてきてしまうかもしれないからです。
また、埋葬した後は、墓地に墓参りをすることはありませんでした。亡くなった人のことを口にするのを戒(いまし)めるというのも、その表れかもしれません。亡くなった人のことを思い出して悲しみの心を抱くと、その思いがあの世にいる死者に伝わって、この世に戻って来たくなってしまうからです。
ヌサ(幣柵)とイナウ(木幣)とは何か
神窓の外には、ヌサまたはヌササン「幣柵」と呼ばれる祭壇が設けられます。これは昔はそれぞれの家ごとにあったもので、ヤナギやミズキなどの木を削って作られたイナウ「木幣」が立てられています。
イナウはその家や地域で祀(まつ)るカムイに捧げるための贈り物であり、一本の背の高いイナウと背の低いイナウ数本がワンセットになって、一体のカムイに捧げられているので、その背の高いイナウの本数を数えれば、その家で何体のカムイを祀っているかがわかります。
平取町(びらとりちょう)では基本的に、ワッカウㇱカムイ「水のカムイ」、シランパカムイ「大地のカムイ=木」、ハシナウウㇰカムイ「枝幣のカムイ=狩猟のカムイ」、ヌサコㇿカムイ「幣柵を守るカムイ」の4つが祀られており、家によってはさらにその家系に関わるカムイが祀られます。
地方によって、もっとたくさんのイナウが立てられているところもあります。満岡伸一『アイヌの足跡』(1924年)によると、白老(しらおい)では9体のカムイに対するイナウが立てられていたそうですし、新ひだか町(かつての静内町/しずないちょう)で毎年行われているシャクシャイン法要祭では、12体のカムイが祀られています。
なお、シャクシャインというのは、1669年に起きたアイヌ対和人の最大の戦争である「シャクシャイン戦争」のアイヌ側のリーダーで、静内以東のメナスンクㇽ「東の人」の総大将だった人物です。毎年9月23日前後にシャクシャインの慰霊とともに、地元のアイヌの人たちの先祖供養が営まれています。
ヌサのイナウは大きな祭りの度に新しく削られて、古いイナウの前に立てられます。古いイナウはそのまま朽ちて行って、後ろに倒れていきます。
このヌサと神窓の間の空間は神聖な場所であるので、用もないのにここに立ち入ったり、ましてや人の家の神窓から中を覗くなどということは厳禁されています。もしそんなことをしたら、賠償の品を要求されることもあったと言われています。
文/ 中川裕
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『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』
中川裕
2024/2/161,650円560ページISBN:978-4087213027累計2700万部を突破し、2024年1月に実写版映画も公開された「ゴールデンカムイ」。同作でアイヌ文化に興味を抱いた方も多いはずだ。本書はそんな大人気作品のアイヌ語監修者が、物語全体を振り返りつつアイヌ文化の徹底解説を行った究極の解説書である。