神田あおい(C)週刊実話Web
今年、20年ぶりに新札が発行された7月3日前後、世の中では「新札フィーバー」が巻き起こった。
と同時に、講談師・神田あおいの周辺でもプチバブルが起きている。
というのも、神田は新札の「顔」である渋沢栄一(1万円札)、北里柴三郎(千円札)をネタにした新作講談を持ち、津田梅子(5千円札)のネタを持つ一龍齋貞奈とともに発行記念ライブを各地で開催、好評を博しているのだ。
そんな神田に“新札にまつわる秘話”を聞いた。
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――講談にも古典と新作がありますが、神田さんはどちらが多いのでしょう?
あおい「私の初高座は2003年なのですが、古典をひと通り演ったあと、現在は新作ネタを中心に活動しています。書くこと、調べることが好きなので、約50本ほどあります。『唯一無二の自分だけの作品』が欲しくて、作り始めたという感じですね。でもその割に、他の講談師にあげちゃったりするんですけど(笑)」
――題材はどういうものが多い?
あおい「シンデレラのような童話から取ることもありますし、過去の偉人や現存する著名人を題材にすることもあります」
――その中に、新札の「顔」で話題の渋沢栄一と北里柴三郎があるわけですね。このタイミングを狙って作ったのでしょうか?
あおい「いいえ、どちらも作ったのは10年以上前になります。実は、大河ドラマになるような偉人は新作ネタになりやすく、渋沢栄一(21年、NHK『青天を衝け』)を新作ネタに持つ方は私だけではありません。実際、7月3日に兜町で行った『新札発行記念LIVE講談会』では、渋沢を田辺一邑が語り、北里を私が、津田梅子は一龍齋貞奈だけが持っているので、彼女が語りました。ちなみに、当日の木戸銭は野口英世か北里(千円)を頂戴しました」
新千円札の北里柴三郎には政府や医学会もソッポ
神田あおい(C)週刊実話Web
――仰るように、渋沢に関しては大河ドラマで人物像が知れ渡りました。津田は津田塾大学の創設者として何となく知っている。でも、北里はあまり馴染みがないですよね。興味を抱いたのはどの辺なのでしょう?
あおい「破傷風の研究などで知られる微生物学者であり、北里大学の初代総長です。このあたりはご存知かと思いますが、私は彼の伝記を小学3年で読んで以来の大ファンなんです。理由は、裕福でない家の出身でありながら医学を目指し、東大を出たにもかかわらず金儲けや出世よりも研究に没頭したストイックなところでしょうか。そのせいか、時の政府には快く思われず、医学会からも疎まれてしまうんです。彼を雇おうとする研究所がどこもないときに、救いの手を差し伸べたのが福沢諭吉でした。伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)を設立し、援助したんです。言ってみれば、『旧1万円札が新千円札を救った』ということなんですよね。そういうところがちょっと面白いなぁと思います」
――新札講談は今も続けてるわけですね?
あおい「はい。子供から大人まで興味を持っていただけるので、学校や企業、地域のイベントにも行かせてもらってます。講談師1人から2人、3人の場合とご予算に応じて語らせていただきます」
――新作ネタを作るにはどれくらいの時間がかかるのでしょう?
あおい「ひと口に新作と言っても2種類ありまして、自分が演りたいと思って取り掛かるケースと、地方の著名人や名士を題材に作ってくれと依頼される場合があるんです。制作を依頼されて公演日が決まっていたら、その2〜3カ月前から調べ始め、ときにはギリギリ前日になってしまうこともあります。偉そうな言い方になりますが、苦労してできなかった部分が突然『降りてくる』瞬間があるんですね」
――最近では、どんなものを作りました?
あおい「12月10日に予定されている『アルフレッド・ノーベル命日の会』(東京新宿・毘沙門天書院にて)で新作を下ろす予定です。ノーベル財団が題材で、それを作った人物が主人公。当時20代のスウェーデン人の若者(ラグナル・ソールマン)が、ある日知人のノーベルから財団を作ってほしいという遺言を受け取るんです。いきなりそんなことを言われても…という話なのですが、彼がいかにしてノーベルの財産を集めて管理したのか、その苦労談になります」
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来年は「昭和100年」にふさわしいネタを企画
――では今後、作ってみたい偉人のネタは?
あおい「来年は『昭和100年』にあたりますよね。漠然とですが、李香蘭とか湯川秀樹など、100年にふさわしいネタを集めた企画ができないか、貞奈らと考えているところです」
――先ほど、初高座が03年と聞きましたが、20代半ばでの転身だったということになりますが、それはどうしてなんでしょう?
あおい「もともとは舞台をやりたかったのですが、運動神経も悪くて高校時代はパンパン。ぽっちゃりを通り越した体形でした。高校を出て1年ほどで痩せたので演劇の道に入りましたが、演出の先生が『どうして君は太ってる人の動きをしてるの?』って(笑)。痩せたのに、体には太ってる時代の動きが染み付いちゃってたんですね。なかなか直らずに苦労していたら、先ほどの先生が『動きをカバーするためにセリフの勉強をしてきなさい。それには講談がいい』と。紹介されたのが今の師匠でした。最初は弟子入りする気などなかったのですが、27歳のときに中途半端はやめようと正式に入門しました」
――二ツ目、真打と順調に昇進されてきたわけですが、女流講談師の恋愛事情も気になります。聞けば“社内恋愛”禁止らしいですね?
あおい「業界内での恋愛はご法度と言われてますね。それは最初に師匠から言われました。『この世界の人は絶対にダメ』って」
――そうすると、どこに出会いがあるのでしょう?
あおい「プライベートで飲みに行って知り合うとか、それこそ合コンにも何度か行きました。前座時代の話ですが、寄席が終わった後に着物姿のままで大荷物を持ってクラブや合コンに出かけたこともあります。後に某男性芸人と話していたときに、当時通い詰めてたクラブにその人も行っていたみたいで、彼はそこでナンパをしまくっていたとか。鉢合わせしなくてよかったぁと胸を撫でおろしました(笑)」
「週刊実話」11月7・14日号より
神田あおい(かんだ・あおい)
1977年3月9日生まれ。埼玉県岩槻市出身。2002年11月、師匠・神田すみれに入門。08年6月二ツ目昇進、16年4月真打昇進。講談協会所属。X:@aoi0309