矛盾する、進化論とキリスト教の教え
彼女の答えは簡潔だった。それは確信に満ちているからであろう。そして、彼女の保守派ならではの思想が垣間見える。ここでは3つ指摘したい。
1つ目は、保守派が、自分たちを非科学主義者だと思っていないことだ。アメリカという国家の勝利と栄光の歴史、それは、力への信奉に基づく帝国主義的な勢力拡大の側面があるが、いずれにしても、アメリカの圧倒的な科学に基づく力が根拠となってきた。
むしろ、科学信奉はアメリカの伝統的、保守的な価値観と言える面もある。アメリカ建国の父たちの顔ぶれを見てみよう。
例えば、ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ独立宣言を起草した1人であると同時に、避雷針を発明した人としても知られる。今回の集会の冒頭で上映されたビデオでは、アポロ計画による人類初の月面着陸が、アメリカの栄光の歴史の一幕として華々しく紹介された。これもアメリカの科学がいかに偉大であるかを強調したものだ。
ただし、保守派が信奉するのは、アメリカに栄光をもたらす「攻め」の科学だけだ。アメリカに苦悩をもたらす「守り」の科学は否定する傾向がある。
それが顕著に現れたのが、新型コロナウイルス感染拡大によるパンデミックの時だった。民主党のバイデン政権は、科学に基づくとして、マスク着用やワクチン接種を推し進めたが、保守派は、自由の侵害に当たるなどとして応じなかった。
2つ目は、保守派は、科学の進歩そのものは称賛しているが、それは、彼らが考えるところのキリスト教の教義と矛盾しない範囲においてだ。通説をひっくり返して、新しい説で上書きするような進歩は、許容しない傾向が強い。
例えば、アメリカでは、進化論を教えることとキリスト教信仰に基づく保守系思想の対立が、長年の社会問題になっている。人間を含む生き物は単純な原始生物から進化してきたとする進化論と、人間は神が創ったとするキリスト教の教えは一致しないからだ。
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ローマ教皇も同性愛を容認
同様の不一致が、最近の性的マイノリティーをめぐる議論においても見られる。会場での学生の回答は、それを端的に説明している。キリスト教では、神がアダムという男とイブという女を創ったとされている。そこでは、性別は男と女しかない。ヒトの性染色体を見る限りは、XYの組み合わせであれば男性、XXの組み合わせであれば女性となる。
ここまでは、科学と保守は矛盾しない。
しかし、最近社会的関心が高まっている性的マイノリティーをめぐる議論は、性染色体で性別が単純に二分できるものではなく、上記の組み合わせと異なる性を自らの性として認識している人もいるという点が重要だ。
ここで、科学と保守は矛盾をきたし、家庭で保守的な価値観を育んできた人たちにとっては、新しい科学を受容するのには抵抗感が出てくる。
科学の世界を一般の人々にもわかりやすく説明したことで知られるカール・セーガンは、「科学は謙虚で、修正を受け入れる」と主張していたが、保守派にとっては、それまでの常識を否定することは受け入れがたいことのようだ。
一方で、性的マイノリティーをめぐって、フランシスコ・ローマ教皇が、2023年2月、同性愛を犯罪とする法律を非難する声明を発表し、「『同性愛の傾向』がある人も神の子であり、教会に歓迎されるべき」(BBC日本語版、2023年2月6日)と述べていることも付記しておく。
カトリック教会のこうした変革は、アメリカの保守派にはどう見えるのだろうか。彼女たちに、さらに踏み込んで聞くことも頭をよぎったが、学生の口調からは、自分が認めない考えは完全に否定したいという緊迫感が感じられたので、追加の質問はやめることにした。
3つ目は、キリスト教に基づく愛の概念を大切にしていることだ。学生の「憐れみを覚える」という表現がキーワードだ。「汝の隣人を愛せよ」というキリスト教的な考え方で、十分な知識を持たない恵まれない人々に対し、軽蔑や憎悪を抱くのではなく、愛をもって接するべきということなのだろう。
突然のインタビューで、しかも答えにくい質問を投げかけられて、感情的に苛立っている面もあっただろう。そのような一種の緊張状態の中にいても、こうした表現が出てくるところに、彼女がキリスト教に基づく価値観に育まれてきたことがうかがえた。
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