ルー大柴「嫌いなタレントNo.1」から奇跡の再ブレイク…50代での“ニュー大柴”を“メイク”した“マインドチェンジ”「最近、朝は公園で近所の人と“トゥギャザー”してます」

20代の下積み期間を経て35歳直前でブレイクを果たしたルー大柴さん。しかし40代に入ると人気者から一転、あちこちで〝嫌いなタレントNo.1〟に選ばれ、仕事のない日々を送るなど再び低迷することに。50代で再ブレイクを果たすきっかけとなったマネージャーとの出会いや再生への歩み、そして70歳となった現在の活動に迫った。(前後編の後編)

人気者から一転、35歳でブレイクも低迷した40代

――35歳で大ブレイクされてから数年後にはあちこちで“嫌いなタレントNo1”に選ばれるなど40代は一度低迷されたルーさん。その時期はどのように過ごされていたんですか。

ルー大柴(以下、同) イグザクトリー(まさしくその通り)! 40代は、旅芸人というか年何本か舞台で芝居をして地方を回ったりしてましたね。最盛期はテレビ全局でレギュラーをもってたんだけど、それが一つ減り、二つ減り…、気づいたら42歳で全部ナッシング(なくなってた)。

ルー大柴っていうアクの強いキャラクターでテレビに出て、常に「テンション上げてください!」「ルーさん!インパクトです!」って言われて。そういう自分もいるんだけど、もっと違う他の自分もいる。売れて名前覚えてもらうためにオーバーリアクションでやってたんですけど、だんだん自分自身も飽きてきて、世間も飽きてきたんでしょうね。

だから40代は役者で何とか食えればいいかなって感じで。今振り返っても、ボーン(誕生)してから頭の中に年表はあるんですけど、40代ってあんまり覚えてないんですよね。

――そんな低迷期から抜け出して50代で再ブレイクしたきっかけは?

50代で今のマネージャーと出会いまして。ひと回り年下のベリーチャイルド(若い)なマネージャーなんですけど、「ルーさん、チェンジマインドしなきゃだめですよ」って言ってきたんですよ。一度売れて二度目のブレイクって非常にリスクがあるし、難しいんですよ。

でも、そのマネージャーに「ルーさん、やる気があるんだったら賭けですけど、一緒にやりましょう」って真剣に向き合って言ってくれて。彼と意気投合して私がそれにのっかったんです。彼とは二人スリーフット(三脚)で今までやってきたんですね。

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50代でチェンジマインド、〝ニュー〟大柴で再ブレイク

――新しいマネージャーとの出会いをきっかけに50代で再ブレイクを果たしたルーさん。再ブレイクに向けてどのようなことに取り組んだのですか?

今まで怠惰で、いい加減にやっていた仕事の在り方や自分の魅せ方とかを全部チェンジマインドして、新しい〝ニュー大柴〟を50歳過ぎてからメークしました。それがおかげ様でブレイクして、日本語と英語を混ぜた「ルー語」が世間に知れ渡るようになった。

マネージャーに勧められてブログを始めたのも大きかった。あれはデスティニー(運命)でしたね。ちょうどインターネットの時代に入って、女子高校生や女子大生の間で面白いと話題になって、昔のルー大柴を知らない人にもメニーメニー(たくさん)知ってもらって。そんなこんなで古希まできました(笑)。

――ルーさんはふだんも「ルー語」を使われているんですか?

ハウス(家)にいる時は使いませんよ(笑)。でもときどきファンの子が「握手してください」って来る時は「藪からスティック(棒)になんだよ!オッケー!」とか言って笑わせて接することはありますけどね。