ルー大柴「トゥギャザーしようぜ!」で一躍大ブレイク、長い下積み生活を経て迎えた35歳での転機「テレビの仕事をしながらティッシュ配りしたり、無我インドリーム(夢中)だった」

「藪からスティック(棒)」など英語と日本語を混合させた「ルー語」で長い間、テレビを賑わせた俳優・タレントのルー大柴さん(70)。20代は役者を志すも鳴かず飛ばずで、一時は芸能界を諦めたというが、カツラメーカーのCM「トゥギャザーしようぜ!」で35歳直前に大ブレイクを果たした。それから2倍の年齢となる70歳を迎えたルーさんに、転機となった35歳当時を振り返ってもらった。(前後編の前編)

35歳で奇跡のブレイク、当時は「無我インドリーム(夢中)だった」

――1990年代、カツラメーカーのCMで発した「トゥギャザーしようぜ!」というフレーズで脚光を浴びたルーさん。ブレイクを果たした35歳当時のことは覚えてますか?

ルー大柴(以下、同) 全然鳴かず飛ばずで34歳ぐらいまできたんですけど、アデランスのCMで右から左に飛び跳ねながら、「トゥギャザーしようぜ!」っていうのを発端にブレイクして。「すごいことになっちゃったな」っていうのが35歳の時ですね。

すでに結婚してワイフ(妻)も息子もいて、当時は崖っぷちでした。食えなきゃもうダメだなと思っていたんで、「無我インドリーム(夢中)」でしたね。海パン一枚でテレビに出たりしてアクの強さをだして、とにかくルー大柴を世間に覚えてもらおうってことでがむしゃらでしたよ、35歳は。

それが今までにないタイプのタレントだってことで、人気も急上昇して面白がられて、5、6年はもったんですけどね。

――当時はすごい熱量で仕事をされていたと思うんですが、人とぶつかったりされたことはあったんですか。

人とぶつかるってことはないけど、とにかく負けん気が強くて、ちょっとした隙があったらすぐ画面に映ろうとか。今考えるとちょっとやり過ぎだなってぐらいやってましたね(笑)。あの時のパワーは若かったのもあるけど、ちょっと気持ち悪いパワーでしたよね。でも、そうでもしないと落とされるって思いもあったから…。

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チャイルドの時から日本語と英語を「トゥギャザー」、ルー語誕生秘話

――ブレイクのきっかけにもなった「ルー語」のルーツはなんだったんでしょう?

父が中国・ハルビンで生まれ育って、中国語と英語とロシア語が喋れたんですね。だから私もチャイルド(子ども)の頃から日本語と英語をトゥギャザーしてたのが事実なんですよ。チャイルド心(子ども心)になんかヘンだなとは思ってたんですけどね(笑)。

父の影響もあったし、高校の時のガールフレンドが帰国子女でアメリカンスクールに通ってたんですよ。その子も日本語と英語がトゥギャザーで、私も自然と日本語と英語がトゥギャザーになっていってしまいました。

――「ルー語」でブレイクを狙った訳ではなく、もともと自然に使っていたものが注目されたということですか?

そうですね。高校をグラジュエート(卒業)したら、1年間ヨーロッパへ放浪の旅に出て、帰ってきたらさらに日本語と英語がトゥギャザーになっている自分がいた。驚いた時は「ウェイト!」、ウォーター(水)をこぼしそうになったら「ウプス!」とか、すぐそういう言葉が出るようになっちゃったんです。だからジャパン(日本)にはないような個性だったね。

ただ30代のブレイクの時も「トゥギャザー」とか多少英語は使ってた部分はあるけど、本格的に「ルー語」が注目されたのは50代の再ブレイクの時ですよね。