大学内の政治闘争と聞くと60年代の安保闘争を思い浮かべる人も多いかもしれない。現代のアメリカのキャンパスでもトランプ氏を支持する保守派と、リベラルな政治団体の対立が起きているという。
書籍『引き裂かれるアメリカ トランプをめぐるZ世代の闘争』より一部を抜粋、再構成し政治的にリベラルな立場をとる、YDSA(アメリカ青年民主社会主義者)の集会の様子をレポートする。
「日曜日まで投稿しないで下さい」
集会は日程の説明と諸注意から始まった。諸注意は会場正面の大型スクリーンに映し出された。「コミュニティーの合意」というタイトルがつけられ、全部で11項目だ。「他者の発言を妨げないようにしましょう」、「ジャーゴン(仲間内だけで通じる言葉)は避けましょう」、「携帯電話に夢中にならずに、今いるここに集中しましょう」などごく普通の注意事項が並ぶが、特徴的なものもある。
例えば、「いつも団結のことを忘れずに」という内容には、団結の重要性を強調した労働組合的な文化が感じられる。「他人の気持ち、バックグラウンド、文化の違いを認識し、敬意を払いましょう」と多様性の重視・尊重を確認した注意事項もある。
ちなみに、バックグラウンド(background)は、性別、人種、宗教、生い立ちなど、さまざまな要素を意味する言葉で、特に多民族国家のアメリカで生きていくためには避けられないキーワードだ。
例えば筆者は、「先祖の墓は日本の寺にあるが、信心深いわけではない」ということを説明したい時には、「私は特定の宗教の信者ではありませんが、バックグラウンドには仏教があります」などと説明していた。
ただ、諸注意の中で筆者が最も注目したのは、写真についてのものだった。「他人の写真を撮る時には事前に尋ねましょう。日曜日まで投稿しないで下さい」とある。日曜日に会議が終了するまで参加者の顔写真はソーシャルメディアに載せないでほしいというお願いだ。
若い世代にとってソーシャルメディアは諸刃の剣だ。
自分たちの活動をアピールできるツールとして強力である一方、その迅速性が仇となることもある。参加者が特定されて、その政治信条がソーシャルメディア上でつるし上げられるかもしれない。
写真の背景から集会の場所が特定され、対立する勢力のメンバー、彼らの場合は保守派の若者たちが大挙押し寄せてきて、集会の継続が困難になるかもしれない。
若者たちへの注意事項とは別に、筆者たち取材班が事前に確認を求められたことがあった。それは、集会のライブストリーミングはしないということだ。ユーチューバーに代表されるように、現代は、スマートフォンなど簡易なデバイスを使ってライブストリーミング、いわば生中継も当たり前の時代だ。今回の集会でそれをやられてしまったら、それこそ保守派の襲撃は避けられないだろう。
筆者たちが生中継はしないし、素材はすべてロサンゼルスに持ち帰るし、日本で放送されるまでにはしばらく時間があることを告げると、何も問題がないという反応が返ってきた。こんな些細なやりとりからも、アメリカの若者たちの分断がいかに深刻かが見えてくる。
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「私の代名詞は『彼』です」
開会にあたっては、労働組合の支持を受ける政治家などの来賓挨拶と共に、YDSAの共同代表2人によるスピーチもあった。この時のYDSAの共同代表は、2人ともニューヨークの大学の学生だった。
コロンビア大学の女子学生、リーナ・ユミーンさんと、開会前にインタビューに応じてくれたNYUに通うコローサさんだ。ユミーンさんの挨拶は力強く、政治家を思わせるようなものだった。これに対して、コローサさんはソフトな口調で語り始めた。
「私はジェイク・コローサです。私はhe(=彼)とthey(=彼ら)の代名詞を使います。NYUのYDSAのメンバーで、全国組織のもう1人の共同代表です」
最初の10秒で、彼ららしい演説の切り出し方だと感じた。冒頭で自分が認識するジェンダーを明示したからである。この場合は、コローサさんは、自分を男性と認識しているという意味である。
ジェンダーへの認識が多様であることに配慮した今の時代にふさわしいスマートな表現だ。また、筆者は、保守派の女性活動家キャンディス・オーウェンズ氏のことを思い出した。オーウェンズ氏は「ターニング・ポイント・USA」の集会で、「あなたが使う代名詞は何ですか」という質問が、大学教授などから初対面の学生に行われることに疑問を呈していた。
仮に、オーウェンズ氏や保守派の若者たちが、この集会に来ていたらどんなことになっただろうか。コローサさんのスピーチが始まってからわずか10秒のところで、ブーイングの声をあげたり、大声で「神様は男と女しか創っていない」と絶叫したりしたかもしれないなどと想像した。