計画的…のように見えて実は勢いだった
浅貝にいた当時はプロライダーとしてやっていきたいとも思ったが、やはり自分の限界も見えてくる。ライダーとしてよりもビジネスとして、好きなスノーボードにずっと関わっていこう。そう意識していったのが20代前半だった、という國原さん。
「ライダーでできる限りをやりながら、その先に何ができるかなって考えて準備をしていた時期が24歳の頃。2004~05年くらいに仲間と飲食事業を立ち上げたんです。地元の神奈川県の相模原で「サルジ」というバーのようなお店です。当時は雪山とお店をいったりきたり、三角形な動きを2007年くらいまでしていましたね。サルジはサンスクリット語で雪という意味。雪山を意識した雰囲気のお店作りをして、山にいるような気分になれる空間です。
お店は3人で立ち上げたんですが、僕を含めて2人は飲食業なんてまったく経験のないど素人。どうして飲食?って聞かれたら、もうほんと「仲間と楽しいお酒が飲めたらいいな~って、それだけ(笑)。自分的には計画通りに見せかけて、実はそうでもなくて、パッと思いついたらすぐ行動に出ちゃう感じ。ちょっと頭のねじが足りていない(笑)」と茶目っ気たっぷりに笑う。
現在はサルジの他に、同じ相模原でHIMARAKの世界観が表現されたスタイリッシュな店「Cafe&BAR HIMARAK」も展開。プレートランチやビストロ風の洒落たメニュー、雪国の日本酒やお酒など美味しいものがいっぱい、グローブの最新プロダクトもディスプレイされている。ローカルのゲストはもちろん、HIMARAKのユーザーたちが集い、雪山談義で盛り上がる?ホットでレイドバックしたナイスな空間となっている。
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グローブという着想
「店の立ち上げが落ち着いた頃、何かまた別の事業を始めたいねってことになった。そのなかでグローブのエピソードが出てきたんです。ディガー時代、薄手のビニール?グローブを使って作業していたけれど、すぐに穴ぼこだらけになってダメになってしまっていた。それに比べて革のグローブは耐久性もあって、一番いいなと思って使っていました。
この頃、感じ始めていたんです。「なんか違うんじゃないか」って。ショップのライダーが、お客さんに無理やり商品を買わせるために頑張っていた。プロショップでもたくさん売って、メーカーもとにかく量を作って売る時代だった。でも、量ばかりあって滑り手の数と合っていない。
そんな状況のなかに身を置いていて、強く思ったんです。数を売って捌くのではなく、長く使うモノ創りだったり、毎年モデルチェンジするものではなく、育てて長く使って自分のものにすることが必要なんじゃないかなって。でも、板とかではその発想ができない、ウエアでは荷が重いかなって。グローブなら大事に使ってリペアをしていけば長く使えるのでは、と。僕のなかでピン!ときたんです。
時代の流れもそうきていた。デザインもよりシンプルにミニマルになって、プロダクトも[最新モデルの年式]とかでなくて、オンリーワンだったり。たくさん売るより、いいものを長く使っていくという時代への動きが生まれていた頃だったと思います。
でも当時、グローブはそんな流れとは別で、業界のなかでもちょっと下火な感じがしたんです。ギアとしての注目度が低いというか、品質への関心度が薄いというか…。量販店の安価なものを毎年買い替えばておけば十分じゃない?みたいな。だから、グローブはこれからのテーマなんじゃないかって、自分のなかで点と点が繋がって線になった感覚がありました」
こうして國原さんのグローブ作りは始まった。
「最初は工場も何もない状態からのスタートでした。工場の分布率が集中しているから、という理由で、まず香川県に飛び込んでみた。2009年に動き出したんですが、ほんとに勢いだけでいっちゃった感じ。思うと今、同じことができるか?っていうくらいです。飲食店のパートナーも巻き込んじゃったうえ勢いに身を任せたので、やりきらなくちゃ……という責任感もありました。
香川で必死に工場を一つずつあたったものの、思うようにはいかない。けれどようやく、今、おつきあいをさせていただている工場に出会ったんです。ロットが少なくても親身に話を聴いてもらえた。幸運でしたね」