「いいグローブをずっと使う」ジャパンメイドブランド|HIMARAK【ヒマラク】

こうしてできたHIMARAKグローブ

ファクトリーのスタッフと綿密に制作ミーティング

「グローブ作りの経験はゼロだったので、工場と意見を重ねて製作を進めていきました。香川の高い技術力を持つグローブ作りのプロの工場がつくってくれるものだから、原型の時点で十分に良いものだったんですが、もっとその先のディテールは、現場で活動するライダーたちからの生の声や考えを形にしていきました。厚みや縫い方、内縫い外縫いとか、絞りのひとつ、マジックテープの仕様や紐だったり…。

アルパインエリアの山の頂上にいたり、バックカントリーなど、自然の過酷な状況にいるライダーたちからの生の声、『この部分は現場で機能しなかった』『この部品は使わないほうがいい』『もっとこうだったらいい』など等、一つひとつ重ねていった。幸い国産で工場が香川にあることで、現場から吸い上げられるリクエストや修正点は、すぐにダイレクトにプロダクトに反映できましたから」

そこをクリアできれば、ゲレンデやサイドカントリーなどでも十分問題ないグローブになるに違いない、と國原さんは考えたのだ。まず、いかに厳しい状況に耐えられるか。

スノーボードとスキー、いずれのシーンでもライダーたちに愛用されている

「ただ、それは費用も嵩むんです。当時、量販店で7,000~8,000円というグローブが売れている時代でした。グローブってこんなもんだよね、という価値観でしょうか。グローブにお金をかける人が少なかった。

そんななか、HIMARAKは2倍くらいの値段になってしまうことは、少しためらいもあったけど、やはりいいものは使ってもらえる。『HIMARAK高いよね』が『2,3年使えるんだって』とだんだん知られていくようになり、『4年使えた、むしろ安いよね』になっていった。この体験を通じて、良いものを作って値段を上げていくのも悪くなかった、ということがわかったんです」

初の作品たちをスノー業界のトレードショーで発表

こうして國原さんは2011年、HIMARAKブランドから初の作品となる、牛革の5本指とスプリングタイプ、ミトン、の3型のグローブをリリースしたのだ。ミトンは保温性にこだわりどれだけ暖かいか、5本指は作業性を重視して、握りのグリップだったり、指先にグリップをつけたりして工夫した。

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いいものづくりは曲げたくない・HIMARAKのブランディング

HIMARAK[ヒマラク]― サンスクリット語でHIMA[ヒマ]は「山」、RAK[ラク]は「愛する」。HIMARAKは国原さんによる造語だが、ネパールでもHIMARAKといえば、山を愛する、という意味で通じるという。

ロゴを見ると山の稜線から陽が昇っているグラフィック。國原さんが描いたものだが、この山は…てっきりヒマラヤ山脈かと思いきや、違った!

HIMARAK 2011
HIMARAK 2013
HIMARAK 2016
HIMARAK 2017
HIMARAK 2018
HIMARAK 現在

「谷川岳です(笑)すいません。Made in Japanブランドですから。ロゴデザインは製作にかかわってくれる仲間とやっているんですけど、以前と微妙に山の形が変わってきて、だいぶ稜線が滑らかになってきた。年齢のせいでまるくなったせいかな?(笑)」

HIMARAKを始めて10年、そのなかで大きな出逢いもあった。

「僕のなかでHIMARAKという方向性がバチっと決まったのが、ライダー西田洋介さんとの出会いでした。アドバイザーという形で実際にウチのグローブを使ってもらってもいました。西田さんは当時、TJはじめ数々のブランディングを手掛けていて、僕が理想としていることを実現していた。西田さんのブランドの価値観に感銘を受けたんです。

HIMARAKのブランドメッセージをいかにビジュアルでも伝えるか・初期の撮影風景

どうしてブランディングをする必要があるのか、ブランドとしての価値を高めるノウハウなど、とにかく『カッコよさが大事なんだ』という考えを学んだことは大きかったです。それは決して外的な見え方だけでなくて、内面的なソウル(魂)の部分です。

僕自身は、ブランディングとはいいものを追求すること、かなと思っているんです。大量生産せず、必要な分だけでいい。売らなくちゃいけないからと販売に固執することでモノの質が下がるのは一番よくないこと。ブランドはブランドとして、しがみつきだしたら終わり。いいもの作りは曲げたくない。

ユーザーの気持ちにどれだけ近づけるかな、というのが僕の思うブランディング。ユーザーの『こうだったらもっといいな』という希望を一つひとつ実現していくことで、ブランド力が高まると思っている。それをコツコツ積み上げていくことで真のブランドに近づけるんだと」

國原さんのこだわりと、ブランドへの強い思いはHIMARAKの世界を広げていく。
そしてまた、幸運な出逢いも引き寄せた。

國原さんの相棒、鈴木さん

國原さんの隣にいるのは、HIMARAKのスキー部門を担当している鈴木俊(すずきしゅん)さん。HIMARAKのブランディングに欠かせない、かけがえのない存在だ。

「俊とはもう20年近い付き合いです。当時、彼がたまたま入った店がサルジだった。話していくうちにすっかり意気投合して。

10代、20代前半をスキーに捧げた彼は、そのキャリアを存分に活かして、スキーとスノーボードの垣根を無くしてくれた立役者です。HIMARAKに、現在のようなSki & Snowboardの共存が叶ったのも、俊のおかげなんです。

HIMARAKグローブがスキーヤーの手に馴染むための考察や助言、そして、著名ライダーとのパイプ役なども担って、多くの功績を積みながらHIMARAKブランドを支えてくれています」