「てか、フラれて泣いたこととかある?」
これはいわゆる恋バナの常套句だ。
恋バナ大好き独身男、バイク少年(中年)ことBKBが、楽屋の空き時間になんの気なしに訊ねた、なんてことのない質問。
しかし、まさか彼がこのような表情を見せることになるとは。
彼がゆっくりと語ってくれた、その恋の話はまさに───悲しい事件だった。
出典: FANY マガジン
ロングなTシャツがもっとも活躍をみせる10月半ば、この日のルミネtheよしもとの本公演は、週初めの平日にもかかわらず満席の盛況ぶりだった。
出典: FANY マガジン
来場の客に感謝はしながらも、合間の時間はいつもと変わらずゆっくりとした時間が流れていた。
BKBと同じ楽屋にいたのは、後輩の双子漫才師ダイタクと、同じく後輩の男女漫才師ゆにばーすの川瀬名人、そして昨年のキングオブコントチャンピオンでありBKBとは同期のサルゴリラ。
「赤羽さん、ま〜たでっかいの飲んでる」
ダイタクの兄貴のほうである大(たぶん大)が、サルゴリラ赤羽がいつも片手に握りしめているコーヒーのサイズ感を指摘する。
「好きなのよこれが」
ベンティサイズしかコーヒーとは認めていないベンティ体型赤羽が即答。
「1日何本飲んでるんでしたっけ?」
「6」
「やばっ」
そんなふうに、やれコーヒーは一日何杯までは身体にいいだの、やれあそこの酒は濃すぎるだの、他愛のない話で合間の時間を埋めていく芸人達。
恋バナのきっかけはサルゴリラ児玉が、結婚してキングオブコントチャンピオンになったにもかかわらず、まだ引っ越し先が探せず狭いワンルームに住んでいる、という話題からだった。
独身BKBが「結婚ねえ」と意味深につぶやいた。
すかさずダイタクの拓(たぶん拓)が「BKBさんはまだまだできないでしょうね」と一言。
「なんでやねん、わからんやろ。それは誰にも」と強がるBKB。
「ちなみに、BKBさんが過去に結婚したいなって思った元カノとかいました?」
「いたよそりゃ。もちろんヒィアよ」
「どんな人でした?」
「うーん……あ、風呂のシャワーの置く場所、上と下にあるやん?あれをぜったい上にする人いて。理由聞いたら下だとホースが床にすれて黒ずむからって。あ、育ちがいい人だったんだなって、別れてから気づいたことあったな」
「……一個目にそれ変でしょ」
「確かに。え、そういう拓は?」
「僕は明日ゴルフ楽しみですね」
「なんやそれ。関係ない話。てかみんなはさ───」
ここからなんとなく楽屋のメンバーの近況をBKBが訊ねていった。
最近は既婚者も増えてきていたが、この日はサルゴリラ児玉以外は独身というやや珍しいメンバーだった。
ふと、BKBはゆにばーす川瀬名人の恋愛観がとても気になった。
ストイックに漫才のみに人生を捧げているイメージの川瀬名人。彼がどんな恋愛をしてきたのか。
そこで───冒頭の質問となる。
「名人てさ、女子に興味とかあるん?てか、フラれて泣いたこととかある?」
流石に、いっぱしの成人男性にする質問としてはぶしつけな質問。
その温度を察したのか、川瀬も返す刀で答えた。
「なんすかそれ。はは。まあ……泣いた記憶はないすけど……ゲロ吐いたことはありますね」
その一言に、和やかだった楽屋の空気がざわついた。
泣いたことはない? けど? ゲロ? フラれてゲロ? 泣くより上か? いや上も下もないか? てかどゆこと……?
ここから、川瀬名人が語った悲しい恋の終わりの話をそのままお届けしたいと思う───。
*
今から遡ること15年ほど前。
芸人で一花咲かせるために、田舎から上京してきた青年、川瀬。
単身ではなく、すでに地元で7年付き合っていた彼女のA子も一緒に連れてきていた。
7年付き合うというのは簡単なことではない。
芸人という不安定な職業を選んだ自分を信じて、東京までついてきてくれたA子。
生活に余裕はなかったが、20代の男女が夢を追いながらの同棲生活は幸せだった。
A子は東京の某銀行で就職をした。
川瀬は日々、バイトをして、ネタをつくって、先輩芸人の付き合いにもなるべく顔を出して。
売れ方のまったくわからない若手時代。とにかくがむしゃらに動くしかなかった。
「早くお笑いで稼いで、広い家にも引っ越して彼女を安心させたい」
お笑いストイックマシーンの今の川瀬からは想像しにくいが、その思いが当時の川瀬の原動力でもあった。
しかし思えば、結果それが彼女と過ごす時間をないがしろにすることとなり、寂しくさせていったのかもしれない。
ふわふわと浮わついた心の行き先は、宙を彷徨い、同じように浮わついた場所に行き着くものだから。
……長くなるので端折るが、要はA子は浮気をしていた。真面目だったA子。
それが東京の魅力にあてられたのか、川瀬が家にいない時間が辛かったからなのか、明確な理由はわからないが、とにかく歳上の男としっかり浮気してしまった。
なぜそれがわかったかというと、最近の言動が怪しいと感じた川瀬が、こっそりA子のケータイを覗き見たことでクロだと確信。
ある日、川瀬は大胆な浮気調査を決行する。
早朝から夜にかけてバイトに行くとA子に嘘をつき、いったん出かけ、午前中にすぐに戻るというやり方。
つまり数日前から「この日はバイトで朝から晩まで半日は帰らない」という嘘の情報をA子に伝えておいた。
浮気はどうやら同棲していた部屋に男を呼んでいたようだったので、男をおびき寄せるため。
別日に覗き見したケータイには「◯◯日、彼氏いないから来てね」と、案の定網にかかったA子達。
そして当日───男が来ているであろう時間を見計らって帰ってきた川瀬は、おそるおそるインターホンをおした。なぜか鍵をあけてすぐ入る気にはなれなかった。
向こうにも少し、考える時間を与えたかったのか。
もしくは実はすべて勘違いで、杞憂に終わってほしいというミリ単位の希望か。
───ピンポーン───ガチャ
「……ん、え?……どしたのー?」
インターホンを押すと、A子が「寝てたよ」という雰囲気を押しだしドアごしに目をこすっていた。
一瞬安堵しかけた川瀬。
だが、ドアが開ききらない。
なんとチェーンをしたままドアを開けていたA子。
普段はこんなときチェーンなどしない。
まして彼氏が帰ってきたのになぜチェーンを外さないのか。
川瀬は改めて、彼女のクロを確信。そして間男が自分の家にいることも確定。修羅場確約。
そのあとはなんだかんだあり(川瀬が生まれて初めて怒鳴ったり、男が逃げようとして2階から飛び降りたりと、やや凄惨だったので割愛)3人で、部屋で冷静に話し合うことになった。
川瀬にとっては、その“座り位置”がまず地獄だった。
テーブルを挟んで川瀬、向かい側にA子と男、の座り位置。
この1対2の構図の意味がまずわからなかった。
うなだれる川瀬。
「あーーー……もう〜」と言いながら倒れ込んだ。
するとちょうど、対面で正座している二人の足元に視線がいく。
川瀬は驚愕した。
なんと二人はこの期に及んで”手を繋いでいた”のだ。
浮気されてるとはわかってはいたが、こうしてリアルを目撃した川瀬は───吐いた。
気持ち悪かった。すべてが気持ち悪かった。
そして、別れた。
*
「───みたいなことがありましたわ。もう昔すぎてなんも思ってないすけど」
聞きいっていた芸人一同から、一気に感想が溢れる。
「す、すごい話……!」
聞きいりすぎて、飲みかけのベンティがまったくなくならない赤羽。
出典: FANY マガジン
「それはでも名人にも責任はあるな」
「どこがだよ。ないだろ」
「わかんねーだろ当人同士しかよ」
「なら、なおさら簡単に答え決めるなよ」
他人の恋バナで兄弟喧嘩を始めるダイタク。
出典: FANY マガジン
「ごめん、最後どうなったの?」
話の佳境でトイレに行ったため結末を知らないサルゴリラ児玉。
出典: FANY マガジン
「で、そのA子さんは今はどうしてるとか知ってるの?」
BKBがそう訊ねた。
「あ、結婚しましたよ、何年か前にね。もちろん別の人とね。しかし女の人ってすごいすよね。結婚式のお祝い動画をゆにばーすで撮ってって連絡ありましたよ」
「「「えーーー!!」」」
これまた一同驚愕。
「それはちなみに……?」
「撮りましたよ。なんなら喜んでもらおうとオカリナとかにも出てもらいました」
「すご!やさし!」
「まあ……自分の都合でわざわざ東京に来てもらった相手なんでね……それくらいは……ね」
そう言いながら遠くを見つめる川瀬名人。
現在彼は、芸人5人でルームシェアをしている40歳。
1人で暮らすよりも、帰ったら仲間がいる今の環境が楽しいらしい。
恋もM-1もうまくいけばいいなと、バイク少年は心から思ったのであった。
【完】