スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深堀りインタビューを行っています。
今回密着したのは、乃木坂46の1期生として活動し、在籍中に『トラペジウム』で小説家デビューを果たした高山一実さん。同作は2024年5月にアニメーション映画化されました。高山さんは、アイドルという肩書きで自分を制限することなく、乃木坂46を卒業後も小説家やタレント、MCとして活動の場を広げています。しかし、卒業後には、精神的に落ち込んだ時期も経験したそうです。等身大の言葉で語られる高山さんの歩みから、「自分らしい道」を見つけるヒントが見えてきます。
※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画一部を抜粋・編集してお届けします
憧れたテレビの世界。しかし鏡の前でつぶやいたのは「無理だな」
高山さんは、小学生のころからテレビの世界にあこがれを抱いていました。特にNHKの子ども向け教育番組『天才てれびくん』は大好きな番組。しかし、トイレで鏡を見るたびに、その夢は遠のいていったといいます。
「私は体型もおでぶちゃんで……。でもテレビに出ている子たちは目がクリクリで、『お人形さんみたいだな』と思っていました。自分とは全然違うなって」
そんな高山さんの学生時代は、剣道一色。髪を伸ばすことすら許されない厳しい環境でした。体格の大きい選手が有利なこともあり、痩せたくても痩せられない。アイドルのような可愛さは、遠い憧れのままでした。
それでも、アイドルになりたいという想いが消えることはありませんでした。高校時代、いくつものアイドルオーディションに挑戦しましたが、すべて落選。「もう受かるはずがない」と諦めかけていたころ、乃木坂46のオーディションの存在を知ります。
「オーディションの時点で、デビュー後の冠番組も決まっていた第1期メンバーの募集。しかも『ソニーが社運をかけて募集します』と大々的に発表されていたので、受かるわけがないと思って。だからすごく気楽に行きました」
ところが予想に反して1次審査に合格。さらに2次審査までも通過します。「途中で落ちてもハッピー」という気持ちで、気楽に臨んでいたオーディションは、なんと最終「合格」という結果に。
「人生ってこういうものかと思いましたね。やっぱり前のめりに『頑張るぞ頑張るぞ』って構えているより、『もう無理だから』と気楽に構えて、素の自分で挑むのが大事なんだって」
華やかなアイドルの世界に飛び込むことになった高山さん。この日から、自分なりの生き残り方を模索することになります。
(広告の後にも続きます)
バラエティしか生き残るすべがないと「思い込んで」いた乃木坂46時代
乃木坂46に加入した高山さんは、早い段階から自身の立ち位置を見据えていました。
「最終オーディションのころから、私はバラエティ以外に生き残るすべがないと思っていました」と高山さん。乃木坂46は「綺麗でおしとやか」というイメージが強く、そんな中で自分らしい居場所を模索した末に「変わったことをして目立つしかない」と決意します。
しかし、その決断が思いがけない葛藤を生むことに。楽屋では自然とメンバーを笑わせることができても、テレビ収録となると途端に自信を失ってしまうのです。
「バラエティー番組収録のスケジュールが決まると『う~……』となっていましたよ。グループのために、今のポジションを守るには頑張らなきゃダメなんだけど、胃は痛い、みたいなのがもう5、6年続いていましたね」
思うような結果を出せない焦りから、テレビ番組では「この場だけ目立てばいい」と、一時的なキャラクターづくりに走ることも。しかし、そんな不自然な姿の高山さんにファンも困惑。握手会の売り上げが落ちる時期もあり、自己嫌悪の日々が続きました。
高山さんが立ち直ったきっかけは、グループのプロデューサー・今野さんの言葉でした。バラエティに向いていないと悩む高山さんに、「そんなに頑張りすぎなくていいよ」という言葉をかけたのです。
「バラエティキャラとして頑張らないといけない」という思い込みから解放された高山さんは、少しずつ肩の力を抜いていきます。すると、意外にもバラエティ番組が楽しく感じられるようになり、「素の自分」で収録に向き合えるようになりました。