かつて京浜工業地帯を支えた巨大な貨物列車ターミナルだった新川崎は、今や「品川から3駅に住まう」などというまやかしのような呪文でファミリー層がおびき寄せられる新しい街に変貌している。 ――結局、住まう...
平成の「サブカル趣味」に興じてた独身時代
描いた地図の中には、住居はもちろん、大きな公園や小学校があって、素敵なカフェがあった。近くには大きなスーパー、家族の笑顔が溢れる街を画用紙いっぱいに表現していた。
眼下の街は、真央が幼い頃に夢見た理想の場所のはずなのだ。
だけど…。
遠くから湘南新宿ラインの通過音と赤ちゃんの泣き声が聞こえた。秋風が真央の肌を撫でる。寝室にあるウォークインクロゼットに反射的に向かう。そろそろセーターを出さねばならないと思った。
浜崎あゆみなんて聴かなかった(写真:iStock)
「…あ、懐かしい」
衣替えついでにクロゼットの整理をしていると、奥の方から十代の頃に着ていたTシャツの数々が出てきた。
透明な衣装ケースに畳んであったのは、バッファロー66、ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ、恋する惑星などのミニシアター系映画や、ロキノン系バンドのTシャツだ。真央の胸にときめきと懐かしさが押し寄せる。
――私、まさに平成のサブカル女子、だったんだよなぁ。
真央は高校生の時、向井秀徳率いるナンバーガールにハマり、当然のごとく解散後はZAZEN BOYSに流れた。くるりや中村一義、ズボンズなども好きでライブにも足しげく通った。その時の音楽はいまだに脳内有線でヘビーローテーションされているほど。
おもむろにZAZEN BOYSのライブTシャツを手に取ると、防虫剤の匂いが時間を巻き戻した。
(広告の後にも続きます)
退廃的な雰囲気の「彼」を思い出す
このTシャツは、大学の同じ音楽サークルにいた男の子と、ライブに行った時にお揃いで買ったものだった。
彼の名前は銀二。その人に真央は密かに思いを寄せていた。身体の関係もあった。しかし、ドライな関係性を求めていた彼に、なかなか自分から付き合いたいと切り出せなかった。
ライブ終わりに朝まで騒ぐ日々(写真:iStock)
ひげ面で、食事は酒とタバコだけで済ますような夜の路地裏が似合う銀二。人見知りで、気に入った人にしか心を開かない孤高感が魅力的に見えた。そんな彼と通じ合えていることだけで誇りだった。
真央自身もそう。髪を赤く染め、COCUEやチチカカなどのアジアンテイストのファッション。COMIC CUEやクイックジャパンを愛読し、仲間や銀二とだけの共通言語を楽しみながら、斜め上から時代を眺めていた。
最終的に、気ままに人を振り回す彼に疲れ、大喧嘩の末に疎遠になったのだが…。
――10年以上会っていないけど、きっと今もそんな感じで、下北あたりをふらついているんだろうな…。
ダメなところも素敵に見えた(写真:iStock)
銀二がいまだ独身で、お酒を片手にフラフラしている姿の想像は容易い。その後も、バックパッカーになっただとか、女のヒモになったというような噂は旧友から聞く。
LINEの着信でスマホが揺れ、現在に戻された。