ダウンタウン松本人志の笑いは本当に許されないほど悪質な「いじめの笑い」だったのか?

松本人志は、なぜ30年近くにわたってトップに立ち続けていたのか。そして「ポスト松本」時代のお笑いとテレビは、どう変わるのか。『松本人志とお笑いとテレビ』(中央公論新社)より一部抜粋・再構成してお届けする。

芸人に良識が求められる時代 

ここ数年、お笑いの世界でもコンプライアンス(法令遵守)が求められるようになってきた。 

肉体的・精神的に苦痛を伴うような笑いの手法に対して批判が高まるようになった。立場が上の者が下の者に対して高圧的に振る舞うようなパワハラ的な笑いも嫌われることが多くなってきた。また、女性の容姿イジリが問題視されたり、LGBTQなどのマイノリティ差別と見られるような笑いに関して、否定的に見る風潮がどんどん強まっている。 

さらに、芸人のプライベートにも一般的な常識が求められるようになり、不倫などの問題を起こすと厳しく非難されるようになってきた。 

そのような風潮が強まっている主な理由は、芸人の地位が上がったことと、社会そのものが変化したことである。一昔前までは、芸人にはある程度の自由が認められていた。過激な表現もそれなりに許容されていたし、当時の人々もそれに腹を抱えて笑っていた。
 

芸人がプライベートで派手な女遊びをしたり、借金を作ったりしても、それほど批判されることはなかった。芸人が派手に女遊びをしていることをテレビであけすけに語っても、ほとんど問題視する人はいなかった。 

かつて芸人は世捨て人のような扱いを受けていたので、一般人と同じレベルのモラルを求められることがなかった。それは、芸人が社会の中で低く見られていたことの裏返しでもある。 だが、時代が進むにつれて芸人の地位が上がったことで、今では一般的な常識が求められるようになった。 

それに加えて、時代が進むにつれて社会の健全化が進んでいき、あらゆる分野でコンプライアンスが重視されるようになってきた。 

そんな時代の変化を象徴していたのが、2011年の島田紳助引退騒動である。紳助は週刊誌で暴力団と交際している疑惑を報じられ、それがきっかけで芸能界を引退することになった。数多くの人気番組を抱えていた名司会者の突然の引退劇は、人々を驚かせた。 

もともと芸能界や興行の世界と、いわゆる任侠の世界は切っても切れない関係にあった。そこがつながっているのは当たり前のことだった。 

しかし、時代が進んで、1992年には「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(暴力団対策法)」が施行され、暴力団の反社会的行為が規制されることになった。ここから暴力団は法的にも明白な「社会悪」として位置づけられた。紳助引退後の2011年10月には暴力団排除条例(暴排条例)が全都道府県で施行され、一般市民の暴力団への協力や商取引が事実上禁じられた。 

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ダウンタウンの笑いは本当に単なる「いじめの笑い」なのか?

その後、2019年には芸人の闇営業騒動が起こった。複数の芸人が事務所を通さずに反社会的勢力の会合に参加して金銭を受け取っていたことが報じられ、宮迫博之らが事務所を解雇された。 

そして、2023年には松本人志の性加害疑惑が持ち上がった。当初は事務所も強気な対応をしていたが、その後は一転して被害を訴えている女性がいる事実を重く受け止め、コンプライアンスの指導・教育や事実確認を進めていくことを発表した。 

「芸人の女遊びぐらい大目に見ろよ」というのがかつての常識だったが、今ではそれは通用しなくなっている。 

ここでは「お笑いとコンプラ」の問題について考えることにする。あらかじめ断っておくと、こういった問題に関しては感情的な対立が生まれやすいことに注意しなければいけない。 

「女性への容姿イジリなんて今の時代に許されるわけがない。言語道断である」といった主張をする人がいる一方で、「最近はコンプラ、コンプラとうるさくて、過激な企画ができないのでテレビが全然面白くない。昔のような番組がもっと見たい」というような、正反対の立場から強い主張をする人もいる。 

個人的には、どちらの主張にも違和感を感じる部分がある。この問題の正しい答えはこれだ、などと考えて、一方的に断罪を求めるような風潮はやりすぎではないかと思う。 

一方、大雑把にひとくくりにして「昔は良かった」などと言うのも、問題を単純化しすぎではないか。社会的な問題に関して個人としてつらい思いをした経験がある人もいるからだ。 
そういった「0か100か」といった極端な主張は、ほとんどの場合、お笑いそのものの価値を過度に軽く見積もっていることから生まれる。 

たとえば、松本人志の性加害疑惑が出たときに「ダウンタウンのお笑いはいじめの笑いだから、私はもともと嫌いだった」というようなことをSNSで書く人が散見された。そういうことを言いたくなる気持ちはわからなくもないが、芸人の個人的な問題と、笑いの本質は別のところにある。 

仮に、ダウンタウンの笑いが本当に単なる「いじめの笑い」であり、許されないほど悪質なものなのだとしたら、ここまで長年にわたって多くの人に愛されることはなかったのではないか。つまり、ここには明らかに言い過ぎている部分がある。言い過ぎだということをきちんと踏まえておかないと、議論がまともに進まない。 

そもそも何かを見て笑えるか笑えないかというのは個人的な感覚に依存する部分が大きいので、お笑いに関しては極端な感情論が横行しやすい。だからこそ、つとめて冷静に考える必要がある。