大学在学中の2007年に歌手デビューし、翌年リリースの3rdシングル『JUNGLE DANCE』がレコード大賞優秀新人賞を受賞した谷村奈南。はたからは順風満帆に見えた彼女が、当時抱えていた苦悩とは?
レコーディングは録り直していた
――谷村さんといえば『JUNGLE DANCE』が代表曲だと思いますが、最初の印象は戸惑いが強かったそうで?
谷村奈南(以下同)そうですね。私はもともとR&Bとかソウルフルな音楽が好きでずっと聴いてきたのですが、歌ったことのないジャンルの楽曲だったので少しびっくりして、「これ私が歌うの⁉」という感覚でした。
楽曲が決まり、「次はラテンの曲を歌うんだな」と受け止めましたね。当時は、まだ自分で楽曲製作もしていなかったので、これをいかにより良く歌っていくか、どんなふうに歌っていこうかなと考えていました。
――具体的に、歌うときにはどのような工夫を?
実は、レコーディングでは私の希望で録り直してるんです。他の曲に比べあまりキーが高い曲ではないので、自分のソウルっぽい歌い方というか、 分厚いような声が目立ってしまう最初のものは、楽曲とボーカルのカラーが合っていないなと思って。わざと薄めにというか、そういうテイストの少し若い声でもう1度合わせて録りました。
――キャリアが浅い分、周りの大人に意見を言うのは勇気が要ったのではないでしょうか。
当時は大学生で、「こんなこと言ったら怒られるかな……」と思うことは多かったです。録り直しについても勇気が要りましたが、「楽曲においてこれはちょっと譲れない」というところは頑張って伝えた記憶があります。
でも、難しいですよね。「ここはこだわりたい」と思っても、大人の世界ではそれがワガママだと受け止められることもある。とはいえ、「この楽曲を良くしたい!」というのは共通の望みなはずですし、どうしても伝えたかったです。
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前事務所には「感謝しかないです」
――谷村さんといえば、歌以外にプロポーションも武器で「Gカップシンガー」というキャッチコピーもありましたが、こうした路線はどのように感じていたのでしょう?
うーん……。「なんだろう?」みたいなことはありましたけど(笑)。でも、それが嫌だとか無理だとかという次元ではなく、多くの人に知ってもらうには必要な戦略の一つなんだろうなと思ってました。
当時はやりたくないことのほうが多かったけど、やるとなったらそこは腹くくって、全力で!という感じでした。
――やりたいことを思うようにやらせてもらえず、反発心が芽生えたりはしなかったんですか?
ありのままの自分を出すことは出来なかったけど、新たな自分を見出すことが出来た。だからこそ成長できたと思います。楽しかったことも辛かったことも当時の全てに感謝しかないです。特別な経験をさせていただきました。
前の事務所の方々は、いまでもワンマンライブを開催すると観に来てくださったり、お花を贈ってくださったりします。今の私があるのは当時のさまざまな方の支えがあったからで、本当に感謝しています。
――2019年にはご自身の会社を設立されましたが、事務所所属時代に比べてどのような変化があったのでしょう。
私、会社を作ったとき、「よし!パッション、やりたいことで生きていく」と決めたんです。
どの世界もそうだと思いますが、特に分かりやすく全て数字に出るし、当時は売れなきゃ!というマインドが当たり前で、いつもどこか無意識的に「まだ足りてない、足りてない」という感覚があったかと思います。本当にハムスターが回し車で走っているような、たまの休みの日でも頭と体が休めていないような感じでした。
でも、今は真逆というか、満たされている感覚です。やりたいことだけで生きていくと腹で決めたから。内観し、自分を深く知っていくことで、自分の本当の望みも、逆に望まないことも分かってきます。ありのままの自分で生きることを許したら、勝手に満たされていきますね。