借金1.5億の町工場を救ったフライパン。年間23万枚も爆売れする理由とは。

思考が一変した、ドイツでの経験

——なぜ、鉄製フライパンの売上が伸びていったのでしょう。

当時つくっていた鉄製フライパンは「クリアー塗装」がしてあるものでした。でも、お客さまから「IHの制御機能で火が止まってしまい、空焼きができない」という問い合わせが多くて、ハードテンパー加工という技術を考えたんです。

2015年秋、「一社でも多く取引先を増やすために、今ある商品を出展してみよう」と、数万人のバイヤーが訪れる「東京インターナショナル・ギフト・ショー」に鉄製フライパンを出展したところ、ハードテンパー加工がバイヤーに評価され、ECショップやギフトカタログで取り扱ってもらえるように。

ところが、希望小売価格5,000円の商品が、いつの間にか3,980円になり、2,980円になり……ECショップ内で値下げ合戦が始まってしまったんですよ。

せっかく従業員が丹念を込めてつくった商品が、安く売られる。なんとかできないか?と考えていた時に、思考が一変する出来事がありました。

——どんな出来事だったのでしょうか。

ドイツで開催された世界最大の調理器具展示会「アンビエンテ」を訪れた時、そこに出展していた現地のフライパンメーカーが、めちゃくちゃ格好良かったんですよ。


2011年に父の俊介さんが3代目になってからは、二人三脚で歩んできたという

日本では、町工場(つくり手)がホームセンターなどの販売店に「うちの商品を売ってください」と頭を下げることが多いですよね。でもそこでは、販売店がつくり手に「うちで販売させてもらえませんか?」と交渉し、つくり手が「じゃあ、年間いくら分売ってくれる?」と、自分たちの商品をたくさん売ってくれそうな販売店を見極めていました。日本と真逆だったんです。

こんな風に、自分たちの商品に誇りを持って、適正価格で販売してみたい。

そう思って2016年、ブランド力を高めるために、カスタマイズ式のフライパン「フライパン物語」を企画・開発しました。自社のWebサイトで直接売るようにしたことで値段は下がらなくなり、個人のお客さまに加え、法人向けにオリジナルフライパンなどの注文も承るようになったので、1万枚単位の大量注文も来るようになりました。

(広告の後にも続きます)

工場の改装費1億2,000万円を2年で完済

——その後、2019年1月に「JIU」を発売し、5年で8万枚以上が売れるヒット商品となったのですね。

鉄製フライパンをもっと売り出したい、と考えた時に「デザイン性が足りない」と気付き、デザイナーに依頼してつくってみることにしたんです。

複数のデザイン会社とコンタクトを取り、4社目に出会ったのが、東京のデザイン会社「TENT」でした。ぼくが依頼したのは「取っ手が着脱できる鉄製フライパン」ということだけ。取っ手が着脱できるフライパンは他社にもありますが、鉄製フライパンにはまだなかったので。

3Dプリンターでつくったという初回のサンプルを見た瞬間、「これはいけるぞ」と思いました。約2カ月かけて鉄板を、約1年半かけて取っ手のデザインを調整。TENTが創業間もなかったこともあり、開発費用は通常より安く抑えられました。


初回のサンプルの時点で「ほぼ今の形だった」という。「JIU」の由来は、フライパンと取っ手を平置きした時「10」に見えるから。小売価格は6,600円(税込)〜9,900円(税込)

一般的な鉄製フライパンの2〜3倍の価格になってしまい、内心売れるか不安でした。宣伝費はプレスリリースの3万円しかかけなかったんですが、海外含むさまざまなメディアから問い合わせがあり、売れ行きが伸びていったんです。

——その後、赤字経営は解消できたのでしょうか。

2010年以降、一番多い時期で借金は約1億5,000万円ありましたが、2020年には借金ゼロ=無借金経営になりました。そのタイミングでぼくが父の跡を継ぎ、4代目に。2021年、従業員のはたらく環境を良くしたいという想いで、工場を全面改装しオープンファクトリー化しました。

改装にかかった約1億2,000万円も、約2年で完済できました。改装費を少しでも早く回収したくて、リアル店舗でも定価販売ができるよう工場の2階を「直販ショップ」にしたところ、利益率が上がったんです。


海外展開にも力を入れており、現在イギリス5箇所、フランス1箇所の他社の販売店で鉄製フライパンを販売する(写真はFUJITA KINZOKU Tokyo)

——次々と新たな挑戦をされている藤田さんですが、なぜ、そこまで頑張れるのでしょうか。

新しい挑戦をする時も、自信はありません。

でも、昨年102歳で亡くなった祖父が、96歳で退職するまで「もっと会社を大きくしたい」とぼくに言っていたんです。それがずっと心残りで、祖父の理想を追いかけ続けてきました。

ただ今思うのは、既に十分な設備が整った工場をこれ以上大きくする必要があるのかということ。それよりも、現在19人の従業員で「会社を有名にする」ことを追求していきたい。目標は、「日本のフライパンメーカーと言えば藤田金属」と言われるようになることです。

挑戦し続けることを絶対に忘れなければ、理想は、いつの間にか叶っているものだと思うんです。

(取材:原由希奈 写真提供:藤田金属株式会社)