舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』日本版で、藤原竜也さんや向井理さん、石丸幹二さんらとともにメインキャストに名を連ねた、俳優の橋本菜摘さん。しかし、華々しい活躍の裏には、想像を絶するような下積み時代がありました。貧困家庭に育ち、上京後にはインターネットカフェを渡り歩く、いわゆるホームレス生活も経験。
31歳を迎えた今新たな挑戦として単身ニューヨークへの留学を決意しました。「挑戦は怖くないと、自身の生き方を通して伝えたい」と語る橋本さんに迫ります。
4人の父親に言えなかった「行かないで」。押し殺してきた言葉を台本に見つけた
──橋本さんが俳優を志したきっかけはなんだったのでしょうか?
きっかけは、高校3年生のときに、友人の付き添いで芸能系専門学校のオープンキャンパスに参加したことです。それまでは芸能界なんて1ミリも興味がなく、保健室の先生になりたいと思っていました。
実は、私は成人するまでに父親が4人いたんです。歴代の父親は皆、私に別れを告げずに去ってしまって。幼少期の私にとっては、とてもつらい経験でしたが「行かないで」「寂しい」とは、誰にも言えずにいました。そんなつらい気持ちを初めて人に吐露できたのが、中学時代の保健室の先生だったんです。
でも、オープンキャンパスに行って、初めて台本というものを目にしたときに衝撃を受けました。私がこれまで押し殺してきた言葉が、セリフとして並んでいたんです。
俳優はこれまで経験してきたすべての感情を使って「自分を救える仕事」だと確信しました。奨学金を満額借り、地元・大阪の専門学校に進学して、演劇を学びました。
──専門学校卒業後には拠点を東京に移して、活動をスタートさせました。どのような生活を送っていましたか?
専門学校を卒業してから半年間は、平日はコンビニでアルバイトしながらお金を貯め、週末になると大阪から夜行バスで東京の声優養成所に通っていました。その後、活動に力を入れるために上京したのですが、「東京で一人暮らしをするのはこんなにもお金がかかるのか」と絶句して……。さらに、2年制の養成所は2年目の進級審査に不合格で。なんのために東京に来たのかと途方に暮れる日々でした。
ただ、ここで何もしなければ自分は腐ってしまうと思い、「1年後には何かに挑戦しよう」と、挑戦資金として100万円を貯める決断をしました。そこで始めたのが女性10人でのシェアハウス暮らしです。
池袋駅近く、光熱費込みで家賃は35,000円。3部屋に10人で暮らしながら、1年弱アルバイトに明け暮れる日々を送り、なんとかお金を貯めました。その中で、最終的には名門劇団の一つである『青年座』の研究所に入る目標を見つけて、無事に合格できました。
でも、その状態って、家賃が安いからこそアルバイトで生活を賄えて、名門劇団にいるからこそ俳優の道を歩んでいる感覚も得られるということ。「この環境では私はダメになる」と衝動的にシェアハウスを飛び出しました。
──生活の当てはあったのでしょうか?
まったくありませんでした。1カ月ほど、キャリーケースを引いてネットカフェとバイト先と研究所を行き来する生活で、いわゆるホームレスを経験しました。誰にも相談できずにいましたが、どんどんやつれていく姿を見たアルバイト先の人にすごく心配されて、とうとう白状。数日間、彼女の家に泊めてもらっているうちに次の家を見つけて、また一人暮らし生活に戻りました。
「俳優になる」という思いだけで当時は踏ん張って生きていましたが、お金や住む場所、コネクションなどを「持たざる者」にとっては、東京は強い目標がないと生きていけない場所だと実感した出来事でした。
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オーディションでつかんだ大役。舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』で学んだこと
──橋本さんといえば、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の印象が強いですが、ハーマイオニーとロンの娘・ローズ役をつかむまでには悔しさも多く味わってきたのではないでしょうか?
オーディションにはとにかく落ち続けていましたね……。そのたびにとことん落ち込んでいました。当時落ちたときに、よく言われていたのが「うまいね」「真面目だね」という言葉。一見褒め言葉のようにも聞こえますが、裏を返せば「おもしろみがないね」ということです。養成所や研究所で5年間かけて学んできたから芝居の知識や基礎はあるという自信が、好ましくない方向に発揮されていたんです。
どんな職業でも、ただ仕事ができるだけでなく、人間的な魅力やオリジナリティがある人と一緒にはたらきたいと思うじゃないですか。だから当時は自分の武器になるものを必死に探していました。
──橋本さんの考えるご自身の「武器」は何でしょうか?
私の武器はエネルギーの高さです。また、私は身長が144cmとかなり低いので、スタイリッシュな路線ではほかの俳優に勝てませんが、親しみやすさや見た目と内側のギャップも大きな武器だと考えています。オーディションでは自分には難しそうに思える役柄でも、役のイメージに引っ張られすぎずに、まずは「橋本菜摘とはこんな俳優だ」と示すことを大切にしています。
──舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は、これまでのキャリアの中でも最も大きな舞台だったと思いますが、プレッシャーを感じることはありませんでしたか?
緊張はつねにしていましたが、プレッシャーを感じることはほとんどありませんでした。踏むべきステップを踏んで、積み重ねてここまできたという実感があったからです。長きにわたるオーディションで選んでもらえたことも、自信につながっています。
──1公演3時間40分の長丁場を2年間で600回以上務めてこられました。1日2公演務める日も多く、かなり大変な経験だったと想像しています。
共演した先輩から教えてもらった考え方で大切にしていたのが「体調の悪い日をベースに完成させる」ことです。2年間ともなると体力的にも精神的にも、クオリティを保ち続けることはやはり難しいものがあります。
調子の良い日はあくまでラッキーだと思うようにする。調子の悪い日に「今日ちょっと良くないかも」と口にすることはまったく恥ずかしいことではありません。人間誰しも浮き沈みがあるということを、言い訳としてではなく心から思えるようになりました。
2年間で3公演お休みさせていただいたことがあり、当時は本当に悔しい気持ちでしたが、走り続けるためには休みも必要です。たとえベストコンディションではなくても、「お客さまのためにその日の100%を出し尽くせたら、決して手を抜いたことにはならない」と考えて、契約期間の2年間を走り切りました。