【本人激白】「人殺し」「死ね」「売名」大量の誹謗中傷…プロレスラー三沢光晴の最後の対戦相手・齋藤彰俊が引退「プロレスをやめるか、自ら命を絶つか」あの日、二択の中で選んだ答え

伝説のプロレスラー・三沢光晴さんの生前最後の対戦相手として知られるプロレスラー・齋藤彰俊が、11月17日の引退試合を最後に現役生活に終止符を打つ。2009年、リング上で三沢光晴さんが意識を失う直前に技をかけた齋藤は15年間、数々の誹謗中傷を受けてきた。寡黙に非難を受け止めて向き合ってきた斎藤が、その想いを吐露した。

三沢光晴、最後の対戦相手

アスリートに対するSNSでの誹謗中傷が後を絶たない。

今夏のパリ五輪では、国際オリンピック委員会(IOC)の選手会が大会中に8500件を超えるオンライン上での悪質な投稿があったことを発表。誹謗中傷を避難する声明を出した。日本のプロ野球でも昨年3月に日本野球機構(NPB)と選手会が連盟で悪質極まる誹謗中傷投稿に対し法的措置など断固とした措置を取ることを打ち出した。

さまざまなジャンルの団体、アスリートが対策に苦悩しているが、プロレスリング・ノアで活躍する齋藤彰俊は今から15年前の2009年6月13日にリング上の事故で急逝したプロレス界を代表するトップスターだった三沢光晴さん(享年46)に、意識を失う直前に技をかけた。

それ以降、ネット上、直接の手紙などで誹謗中傷が相次いだ経験を持つ。齋藤は11月17日に名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退試合を行う。34年あまりのプロレス人生を終える前に自身が受けた誹謗中傷の経験、自身が向き合ってきたこれまでの対応について打ち明けてくれた。 

齋藤は、2009年6月13日、広島県立総合体育館でのタッグマッチで三沢さんと対戦した。リング上で放ったバックドロップで三沢さんは意識を失い、広島市内の病院へ救急搬送された。集中治療室で蘇生措置が取られたが三沢さんは「頸髄離断」で急逝した。

絶大な人気でプロレス界をけん引してきた三沢さんの最後の対戦相手となったことでネット上でおびただしい数の誹謗中傷を受けた。

「当時、私はテレビの情報番組に出演させていただいておりました。そのテレビ局のサーバーを利用したブログをやっていましたが、あまりに誹謗中傷の投稿が書き込まれてサーバ―が落ちたほどでした。しかし、私はそのすべてに目を通しました。

『お前がやめろ』という書き込みから、中には『人殺し』『死ね』という誹謗中傷がありました。一般の方だけでなく同じ業界であるプロレスラー、格闘家の方からも中傷を受けました」

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「やめるか? 自ら命を絶つか?」二択の中で選んだ答え

当時は、ソーシャルメディアの「ツイッター」(現在のX)が2006年にスタートしてからまだ3年目で、現在ほどのユーザー数はなかった。ただ、ブログ、ネット記事へのコメント欄は15年前も現在と同じように活用されており、そうしたメディアを通じてオンライン上で誹謗中傷を受け続けた。

一方で、齋藤は三沢さんが亡くなった直後にこうした中傷を受けることは覚悟していた。三沢さんが亡くなった翌朝にある決意を固めたという。

「このままプロレスラーをやめるか? 自ら命を絶つべきなのか? 二択の中で迷いました。ただ、その時に思ったことがあります。それは、自分が引退、あるいは、命を絶てば一見、責任をまっとうしたかのように思えます。だけど、三沢さんにはファンの方々、ご家族、支援してくださった方々がいらっしゃいます。

自分がいなくなったら、その方たちはどこに怒りをぶつけるんだろう? と考えました。それならばすべてを受け切ろうと決断しました。受け切るために『リングへ上がること』が自分がやらなくてはならないことだと覚悟しました」

あれから15年。SNS時代は急拡大した。
齋藤のもとには今も誹謗中傷は書き込まれ続けているという。

「私は、当時も今も私のXなどに直接、コメントしてくださる方には返信しています。そこには『大変、申し訳ありません。私のなかで三沢さんと約束したことがあります。やらなければならないことがあるので、もう少しだけリングに上がらせてください』と返信しています。それでも『ふざけんな。バカ野郎』と返す人もいらっしゃいます。

私は、それも受け止めます。中には言葉は悪いんですが、愉快犯のような投稿もあります。ただ、書き込まれる中身がなんであろうがどうだろうが、書き込みが来たことにちゃんと対応しています。そうすると、同じ人が継続して書き込むことはありません。

その中には本当に三沢さんのことを思って言ってらっしゃる方もいれば、そうではない人もいます。だけど、あの日、受け切ると覚悟した以上、来た人には同じ対応をしています。私は言葉とは贈り物だと思っています。ですから、どんな人にも自分なりの贈り物を届けたいと思っています」