ドゥエイン・ウェイドは、NBAキャリア17年のうち15年をマイアミ・ヒートで過ごし、バスケットボール殿堂入りも果たしているレジェンドだ。
2012、13年にヒートでレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、クリス・ボッシュ(元トロント・ラプターズほか)とともに2度のリーグタイトルを手にしたが、“ビッグ3”が結成された10年のオフ、当初は他球団へ移籍するつもりだったという。
03年のドラフト全体5位指名でヒートに入団したウェイドは、2年目の2004-05シーズンに平均24.1点をあげてチームのエースに。翌05-06シーズンにはシャキール・オニール(シャック)とのデュオでヒートに初優勝をもたらした。
しかし、初優勝後は4シーズンで3回プレーオフに進出するも、いずれも1回戦で敗退。07-08シーズンに至っては15勝67敗でリーグ最下位に沈み、相棒のシャックはシーズン途中にトレードで放出された。
10年夏にフリーエージェント(FA)となったウェイドは、同期のレブロンやボッシュらとともに去就が注目されていた。当時クリーブランド・キャバリアーズに在籍していたレブロンは米スポーツ専門局『ESPN』の特別番組『The Decision』でヒート行きを発表したことで、キャブズファンが彼のユニフォームを燃やすなど全米中の悪役となったのは有名な話だが、ウェイドも地元球団のシカゴ・ブルズと2度面談を行なっており、気持ちは移籍に傾いていた。
ウェイドはヒート時代に共闘したユドニス・ハズレムとマイク・ミラーがホスト役を務めるポッドキャスト番組『The OGs』に出演した際、「レブロンはキャリアにおいて(これまでとは)何か違うものを求めていた。それぞれが(NBAで)7年間プレーする間に、レブロンはMVPを2度獲得したし、私も優勝して、ファイナルMVPにも輝いた。その後、マイアミは低迷期を経験し、再建に向かった。実際、あの時点でマイアミを去ることも考えていた」と明かした。
ミラーが「本当かい?」と尋ねると、ウェイドはデリック・ローズ、ジョアキム・ノア、ルオル・デンといった才能ある選手が揃っていたブルズから、最終的にレブロン、ボッシュとヒートで共闘することを選んだ背景に触れた。
「誰かを獲得しても、自分たちがさらに上のレベルに行けるとは思わなかった。タレント不足ということではなく、選手層の厚さの問題だ。FAの本質は、選択肢を模索すること。その時、私は優勝するチームの一員になりたいと切望していた。
ホームタウンのチーム(ブルズ)が勝てる可能性があり、(生まれ故郷の)シカゴに戻ることを決めていた。7年もプレーして、優勝して次に進む時だ。マイアミから出ていくつもりだったのがFAになる時の私の胸中だったけど、背番号6(レブロン)から電話が来て、すべてが変わった」
ウェイドは過去に、ボールを支配する自身とレブロン、ローズでは組み合せ的に厳しいものになっていただろうと述べており、お互いの相性もヒートにビッグ3が誕生する追い風となったようだ。
「当時、どのチームも2人のスターが最低限必要だった。ブルックリン・ネッツ、ニューヨーク・ニックス、シカゴ・ブルズ、(ロサンゼルス)クリッパーズ、彼らは2人のスタープレーヤーを獲得できるチャンスがあった。
シカゴでは、私とレブロンが揃うことは難しかった。レブロンとクリス(ボッシュ)、私とクリス(ボッシュ)、私と(カルロス)ブーザーだっただろう。そのなかで、レブロンやエージェントとの話し合いで、大きく報じられてはいなかったけど、マイアミは3人のスタープレーヤーを揃えることができるだろうと分かったんだ」
ヒートはレブロンが14年にキャブズに復帰するまでの4年間、すべての年でNBAファイナルに進出し、2度のリーグ制覇を達成。ウェイドの残留の決断も、結果が伴う形となった。
構成●ダンクシュート編集部
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