書籍『ビートルズ大学』によると、ビートルズファンは5つの世代に分類されるという。リアルタイム体験者の第一世代、70年代以降のメンバーのソロ活動を通してのビートルズを知った第二世代、80年のポール逮捕とジョンの死をきっかけとした第三世代、90年のポール来日などでの盛り上がりでファンになった第4世代、そして95年以降の『アンソロジー』や『1』をきっかけとした第5世代。なるほどと思う。これが書かれたのは2006年だから、今は第6、第7世代あたりまでいそうな感じがする。
ファンの登竜門的存在、ビートルズ・シネ・クラブ
かくいうわたしはまさにポール来日逮捕のニュースでビートルズを知った第三世代。情報の少ないなか、レコードのライナーノーツや配布されていた東芝EMI制作の小冊子、ラジオ番組などをもとに知識を増やしていった。手に取りやすい書籍も少なかった、そんな状況この世代のファンにとって、とてつもなく大きな存在であったのがビートルズ・シネ・クラブだった。ビートルズ関連のあらゆるところに入会案内が記載されていて、認知度は100%に近く、おそらく第二、第三世代でシネ・クラブを通っていないファンはいないのではないか。それくらいの絶大な影響力を誇っていた。
早々にコンプリート・ビートルズ・ファンクラブに入会したわたしは、シネ・クラブには入会していないのだが、前述のとおりビートルズのレコードには必ず入会案内が記載されていたほか、コンプリート~のフィルムコンサートの際に復活祭のチラシが配られるなどしていたので、普通にシネ・クラブの動向はインプットされていた。毎号会報が届くのが魅力的で、グッズアイテムも充実していたから気になってはいたが、中学生で2つのファンクラブに入る余裕はない、なんて思っていた。
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会員だった新しい友達Hくんから受けた恩恵
そんな折、高校に入ってできた新しい友達の中にシネ・クラブに入っているビートルズファンがいたのだ。名前はHくん。以来仲良くなって、毎月会報を貸してくれたり、情報を交換しながら、レコード屋に行くようになった。学校帰り、神保町で降りてロックワークショップやビクトリアほかから御茶ノ水のユニオンやシスコを経由して秋葉原・石丸電気まで行くのがいつものパターン。手段は徒歩、レコード費節約のため途中で喫茶店にはいることもなかった。Hくんはある種の潔癖症で、石丸電気でレコードを買う際、必ず在庫状況を確認して、店頭に並んでいるものではなく、レジ奥の在庫からレコードを買うようにしていた。
Hくんはビートルズ以外にもいろいろな洋楽に詳しくて、ストーンズやドアーズ、ツェッペリンといった古めのものからザ・スミスやペイル・ファウンテンズなどのUKインディーまで幅広く聴いていた。カセットを渡してはレコードを録音してもらっていたという意味において、Hくんはわたしに洋楽ロックを聴くことの楽しみや知識を増やしていくことのおもしろさを教えてくれた恩人といえる。
そのHくんが夏休みに復活祭というフィルムコンサートのイベントがあることを教えてくれた。それまでコンプリート~のフィルムコンサートは何度も足を運んでいたけど、復活祭は行ったことがなく、一度見てみたいと思っていたのだ。会場は九段会館ということは覚えているけど、日時は忘れてしまったので、手元の資料で調べてみたら8月27日だという。夏休みとはいえ金曜日の平日に一日2公演とは強気な興行だ。いかに当時の客層が若者であったかがわかる。このときわたしはHくんとは現地で待ち合わせ、地元のAくんを誘っていった記憶がある。その日たまたま中学時代の同窓会とぶつかっていて、久しぶりに友達と再会できると思いながらも、Aくんとともに復活祭を選んだのだった。